フジロックフェスティバル2021

2021年8月19~23日、フジロックフェスティバル2021に参加しました。新型コロナウイルスの感染拡大で2020年は中止しており、2021年は例年より1カ月遅れの開催でした。新型コロナウイルス感染症対策で運営が大幅に改変され、出演者は国内アーティストに限られました。客数も制限されました。

開催について

2020年はフジロックを含め、ほとんどのフェスティバルが中止になりました。しかし、2021年は開催したフェスティバルと中止したフェスティバルに分かれました。フジロックは開催されましたが、主催者には「万全の態勢で大規模イベントの開催実績をつくる」「後続イベントの参照事例をつくる」という使命のようなものが感じられました。万全の態勢を実現するため、主催者は新潟県が要請する全てのコロナ対策を実施したとみられます。また、それ以上の対策を取ったとみられます。酒類提供の中止は大きな決断でした。参加者全員の体温検査は形式的ではありませんでした。顔写真登録必須の追跡アプリは、スタッフに画面を見せないと会場には入れませんでした。希望者には抗原検査道具が自宅に事前配布され、抗原検査テントも現場に設置されました。会場内ではマスクの付け方を随時指導されます。

会場内のステージ、飲食店の配置は大きく変わりました。場外飲食店、パレス・オブ・ワンダーがなくなり、駐車場を縮小して飲食スペース付きのイエロークリフができました。オアシスエリアのブルーギャラクシーはなくなりルーキーアゴーゴーのステージになりました。フィールド・オブ・ヘブン後方の飲食物販店はなくなり、オレンジカフェに移動しました。ジプシー・アバロンのステージもオレンジカフェに移動しました。すべて、密集を回避するためとみられます。

主催者が「何が何でもフジロックを開催したい」と前のめりになっていたかのような印象を持ってしまいますが、フジロックの開催を強く望んでいたのは主催者というよりも地元住民でした。それは、主催者に取材したメディアの記事のいくつかに現れています。

地元住民が開催を切望する背景には、湯沢町、あるいはスキー場を抱える豪雪地域の特殊事情がありました。コロナ直前の2019-2020年冬季は、湯沢町のスキー場利用者数が、暖冬による雪不足で237万人から175万人に減り、2020-2021年はコロナの緊急事態宣言で99万人になりました。

苗場スキー場に限って見ると、2018-2019年が71万人、2019-2020年が32万人、2020-2021年が3カ月半で12万人でした。2020-2021年は、フジロック2019の4日間13万人以下でした。湯沢町は2000年代後半以降、2018年まで年間観光客数が全体で400万人台です。このうちスキー客は半数以上の250万人前後です。経営が立ちゆかなくなっている宿泊、飲食、観光業者は多かったでしょう。

宿泊業者、飲食業者、その他大勢の関係者は、湯沢町商工会、湯沢町議、湯沢町長、地元選出県議を通じて地元の要望を新潟県知事に伝え、知事の意向を受けた新潟県職員がフジロックを開催する方向で動き、湯沢町や保健所の職員らとともに国、県医師会と調整をし、開催できる条件と合意を積み上げました。科学的根拠に基づいた基準をつくり、他の地域のイベントとの公平性を維持し、部外者が納得しうる説明を用意することは容易ではなかったでしょう。結果論ですが、根本的に開催不可能となるような、努力を無にするような政治的発言が出なかったことも幸いでした。

ロックインジャパンフェスティバル、アラバキロックフェスティバル、モンスターバッシュ、ジョイン・アライヴなど、開催直前で中止になったフェスティバルがいくつかあります。関係者はフジロックと同じようにさまざまな調整と努力をしたであろうと想像します。中止に至ったフェスティバルは、誰かの要請を受け入れるという形式を取り、主催者側から中止を発表しています。それぞれの経緯については、今後、誰かが検証すべきでしょう。業界での情報共有もするべきでしょう。

ロックインジャパンフェスティバルの場合、事実上、県医師会の判断が中止の大きな要因になりました。新型コロナウイルス感染症の状況は過去も現在も常に変化しているので、同じような判断が新潟県医師会から出てきても不思議ではありませんでした。

しかし、地元メディアの新潟日報によると、開催地の大規模病院は、「開催することが重要であるとの地域事情を理解している」と前置きした上で、「医療資源に余裕を持っておきたい」と正直な意見を述べています。この前置きから読み取れるのは、県医師会の中でフジロック開催の意思統一が図られており、ロックインジャパンフェスティバルのようなことには起こりにくかったということです。「住民の不安」という理由も同様で、観光に依存している湯沢町では住民の多くが開催への共通理解を持っていたと言えます。

これらの断片的な情報から推測を重ねたとしても、2021年のフジロックは偶然が積み重なった上で開催できたと言えます。開催前後においては、主催者はもちろん、参加した者としなかった者、出演した者としなかった者の発言が注目されました。開催できない理由を探すよりもどうすれば開催できるのかを考えた県職員、町職員、医療関係者、商工関係者の努力も認識しておくべきでしょう。

会場内について

会場には、マスメディアを明示した取材記者、隠した取材記者、会場内をチェックしたとみられるスーツと革靴の男性高齢者集団がいました。これらの非主催者も現場でさまざまな感染防止対策を見ているはずです。2021年のような異例の年にこそ同時代の記録が必要なので、メディアを明示した取材記者は歓迎されるべきでしょう。ただし、今回に限らないことですが、在京民放テレビや中高年向け週刊誌のように、大衆下層を相手にするメディアはその層が喜ぶ情報を探すため、批判的になりがちです。

上記のように、2021年はコロナ対策を施した改変が多数ありました。大きな変化では、体温チェック、スマートフォンチェックによる入場者の管理、各ステージ前の間隔目印の打ち込み、オアシスエリアのブルーギャラクシーをルーキーアゴーゴーのステージに転用、オーガニックビレッジ、NGOビレッジ、ジプシーアバロンの移転、フィールド・オブ・ヘブン後方の店舗移動、パレス・オブ・ワンダーの休止、イエロークリフの設置などがありました。飲食店の出店も大きく減りました。酒類の提供は中止になりました。

コロナ対策以外では、みどり橋の剛性強化、グリーンステージ奥のトイレの坂の舗装、アバロンとフィールド・オブ・ヘブン間の導線舗装、オレンジカフェ入り口の舗装がありました。

グリーンステージ終演後、例年に比べごみの量が大幅に減っていました。参加者が少なかったからというよりも、この状況下で出演するアーティストの表現方法を確認する、洋邦関係なく非大衆的なアーティストを見る、という欲求が、コロナ禍や酒類提供なしという条件を上回る人、見慣れた表現に安心するよりも未知の表現を求める人が集まったからだと思われます。

公演について

出演者はそれぞれが何らかの形でメッセージを発していました。何も話さずに演奏だけをしたアーティストでも、他のメディアを使って説明していることがありました。公式サイトに長文を残しているアーティストもいます。

誰がどのような発言やパフォーマンスをするのか、2021年に限っては大きく注目されました。それらのメッセージの特徴を挙げると、政府の対応を批判する発言がほぼなかったこと、対立が先鋭化しがちな社会のありようを前向きに変化させようとする発言が多かったこと、エンターテイメント業界にいる者としての苦悩と感謝、が多かったと思います。長期間ライブができなかったことによる影響が出たアーティストもあり、進行を間違える、時間配分がうまくいかずに予定曲をカットする、ということがありました。印象的だったアーティストはGEZAN、MONO NO AWARE、KEMURI、サンボマスター、ENVYなど。