1965年。64年のライブでデビュー。ボーカルがキース・レルフ、ギターがエリック・クラプトンとクリス・ドレヤ。エリック・クラプトンはMCで「エリック・スローハンド・クラプトン」と紹介されている。曲はすべてブルースのカバー。このころすでにエリック・クラプトンは人気があったらしいが、ギターサウンドはまだそれほど粘着的ではない。モノラル、音質が良くないのは年代的にも仕方ない。エリック・クラプトンが1945年生まれで17歳のときギターを始めたのが事実だとすると、ギター歴1年でヤードバーズに加入し、このライブをレコーディングした64年にはギター歴2年でスターだったことになる。
1965年。ジャケットに写っているのは新たに加入したジェフ・ベック。11曲のうちジェフ・ベックは3曲だけで、残りの8曲はエリック・クラプトン。今の感覚からすれば「フォー・ユア・ラブ」はそれほどポップではないが、ブルースに傾倒した若者から見れば、「堕落」と映ったかもしれない。この曲のハープシコードはブライアン・オーガー。「マイ・ガール・スルーピー」はマッコイズが「ハング・オン・スルーピー」としてカバー。
1966年。63年のライブ。たくさんあるボーナストラックのうち4曲はヤードバーズ単独。
1966年。「ロジャー・ジ・エンジニア」ともいう。アメリカでは「オーバー・アンダー・サイドウェイズ・ダウン」という。ジェフ・ベックのギタープレイ全開。ヤードバーズはなぜロック史において重要かと言えば、ロック三大ギタリストを輩出したからというのが一般的認知で、それはもちろん正しい。もう一つ重要な点は、歌メロの間の単なる「間奏」を「ギターソロ」に転換させたことだ。スーパーギタリストを擁していたがゆえに、ライブ等でギタープレイに注目が集まり、曲そのものよりも間奏のギターソロがバンドの売りになった。歌モノにインスト的要素を加え、間奏をテクニック披露の場に昇格させたことによって、ロックの曲構造に変化をもたらした。ギターソロは多かれ少なかれインプロビゼーションとなるため、曲の長大化も引き起こす。ボーナス・トラックの「幻の10年」はジェフ・ベックとジミー・ペイジのツイン・ギターで、ベースはゲスト参加のジョン・ポール・ジョーンズ。レッド・ツェッペリン組の2人が参加している。
1966年。エリック・クラプトン時代が4曲、ジェフ・ベック時代が6曲。「いじわるっ娘」「ハートせつなく」はシングル・ヒット。「スティル・アイム・サッド」はレインボウが、「トレイン・ケプト・ア・ローリング」はエアロスミスがカバーした。
1967年。ポール・サムウェル・スミスが脱退しジミー・ペイジ加入、クリス・ドレヤがベースに転向。ややディストーションが大きく、からみつくギター。アコースティックも多い。タイトル曲のチェロ編曲はジョン・ポール・ジョーンズだという。
2003年。