1984年。邦題「魔人伝」。4人編成。ブラッキー・ローレスのボーカル・スタイルとか、「悪魔の化身」のメロディーの覚えやすさなどの比較的目立ちやすい要素を除いていくと、サウンドの核心はジューダス・プリーストであるかのようなサウンド。アリス・クーパーやキッスがすでに存在していた時代に、派手なステージ・パフォーマンスで耳目を集めることは二番煎じの感を否めない。プロフィールは脚色か。「アニマル」収録。ボーナス・トラックでローリング・ストーンズの「テル・ミー」収録。全米74位。
1985年。ほぼ全曲でサビを一緒に歌える覚えやすさはすばらしい。攻撃的リフを備えつつイメージも崩さず。ボーナス・トラックでマウンテンの「ミシシッピー・クイーン」収録。全米49位。
1986年。アルバムごとにメンバーが変わっている。ブラッキー・ローレスはベースからギターに転換。ロックン・ロールの影が薄くなり、ヘビーメタルに近くなってくる。レイ・チャールズ、ハンブル・パイのカバー「アイ・ドント・ニード・ノー・ドクター」、ユーライア・ヒープのカバー「イージー・リヴィング」収録。全米60位。
1987年。ライブ盤。全米77位。
1988年。ドラム不在。キーボード奏者としてケン・ヘンズレー参加。イントロダクション付き、二部構成の曲が増え、プログレッシブ・ロック風になった。コンセプトもあって、頭のいいアーティストと評価されていたブラッキー・ローレスがさらに高評価となる。今回もザ・フーの「リアル・ミー」をカバーしてブリティッシュ・ロックへの傾倒ぶりを見せた。全米48位。
1992年。クイーンズライチの「オペレーション・マインドクライム」に匹敵するアメリカのヘビーメタルの傑作コンセプト盤。しかし、ブラッキー・ローレスが音楽的に高度な位置に達すると、それを理解する聞き手はヨーロッパにしかいなくなっていた。カバーが入らず、すべて自作曲。ドラムの手数が多い。謝意の欄にアイアン・メイデンのスティーヴ・ハリスがある。バンドの野獣的側面を体現していたクリス・ホルムスが脱退し、キッスのブルース・キューリックの兄、ボブ・キューリックが加入している。それまでの5作がすべてチャート・インし、前作が史上最高位を記録したにもかかわらず、この作品がチャートに入らなかったことは、作品自体がいかに異質だったか、あるいは聞き手の求める音との乖離がいかに大きかったかを物語っている。
1992年。邦題「チェインソー・チャーリー(新・モルグ街の殺人)」。シングル盤。「鏡の中の幻影」は未発表曲。構成のある質の高い曲。「ジョナサンの物語(プロローグ)パート1」は語り。
1992年。シングル盤。「賛辞」は未発表曲。「ジョナサンの物語(プロローグ)パート2」は語り。「チェインソー・チャーリー」と「ジ・アイドル」のシングルは曲順が同じ体裁になっており、1曲目がタイトル曲、2曲目が未発表曲、3曲目が語り。
1993年。ベスト盤。新曲2曲はロックンロール。
1995年。一度解散してすぐに復活。今回は特にコンセプトはないがサウンドは引き継いでいる。ジェファーソン・エアプレインの「あなただけを」とクイーンの「タイ・ユア・マザー・ダウン」をカバー。スペシャル・サンクスやコメントをきちんと読むべきアルバムだ。音楽的な質の高さや美しさは、五線譜の音符の並びの中にのみ存在するという考え方で聞くならば、自由な聴き方を拘束するようなコメント添付は逆効果で、ブラッキー・ローレスの真価が問われることになる。
1997年。ギターにクリス・ホルムスが復帰。ギターの音をデジタル的に歪ませてある。基本的なサウンドの変化はない。クリス・ホルムスはステージ・パフォーマンスでは重要かもしれないが音ではそれほどでもない。
1998年。2枚組ライブ盤。オープニング曲は11分半の4曲メドレー。2枚目にも「クリムゾン・アイドル・メドレー」があり、最後の曲も「ミーン・マン/ロックン・ロール・トゥ・デス」のメドレーとなっている。1枚目は61分、2枚目は40分。ブラッキー・ローレスはスタジオ盤と変わらない声。
1999年。初期の作風に戻っている。しかし、「悪魔の化身」のようなポップ性を備えた曲がない。「凶暴性」を意識しすぎてわかりやすさを置き去りにしている感がある。
2000年。ベスト盤。未発表曲1曲とエルトン・ジョンの「土曜の夜は僕の生きがい」のカバー収録。
2000年。ライブ盤。
2001年。WASPのアルバムは再びブラッキー・ローレスの内面表出作品と化した。「アニマル」のような衝動的歌詞はないし、「クリムゾン・アイドル」のような作り込まれた物語も存在しない。カバーもしなくなった。初期の売りだった「凶暴性」はビジュアル面から歌詞へと移っている。少年時代に「魔人伝」をかっこいいと感じた聞き手が成長して精神的に大人になったとき、再びWASPのアルバムを聞いて、「違う意味でかっこいい」と感じるかどうか。
2002年。1838年のアメリカ先住民強制移動は、アメリカ政府の先住民迫害として有名だ。特にチェロキー族がジョージア州からオクラホマ州へ徒歩で移動させられたときには、寒さと伝染病と栄養失調で12000人のうち4000人が死亡し、アメリカ先住民の代表的な悲劇として語られる。実際はこの「涙の旅路」と呼ばれる事件に至るまでに無数の小さな悲劇がある。この事件を曲にしたアーティストはビートルズ、レイダース、ヨーロッパなど多数いるので、WASPが今回これを取り上げたことは「今さら」という気がしないことはない。一方でブラッキー・ローレスは、ニューヨークの同時テロにも怒りを向けている。正確に言えば、怒りの矛先はテロリストであり、「報復しなければならない」と言う。アメリカ人の正義が世界共通の正義であると無意識に考えてしまう典型的なアメリカ人になってしまっている。「...AND JUSTICE FOR ALL」という傲慢なタイトルのアルバムを発表して、「湾岸戦争に進んで参加したい」と言い放ったメタリカに通じるところがある。サウンドの変化は特にないが、ブラッキー・ローレスが「頭のいいアーティスト」であるがゆえに書くことができる解説によって問題作となっている。
2004年。2枚組コンセプト・アルバムの1枚目。「クリムゾン・アイドル」以来の本格的物語。虐待を受けて育った少年が、多数の人の心を動かす能力を持っていることに気づき、ネオン・ゴッドとして振る舞う。一人称で話を進める。歌詞は発言と思考で構成され、誰の発言、思考であるかが示されている。ボーカルはブラッキー・ローレスだけなので、1人で全員の役を担っている。サウンドも「クリムゾン・アイドル」と似ており、ほとんどの部分でブラッキー・ローレスによるオルガンが鳴っている。曲調は明るくないのは当然だ。
2004年。前作の続編。ブラッキー・ローレスがこの物語の狙いについて最後にコメントしている。最後の曲は13分超。
2007年。ギターとドラムが交代。ブラッキー・ローレスによる明解な解説がついており、アメリカの帝国主義とイラク戦争を扱っている。イラク戦争の兵士を一人称としている。状況を説明する曲は「ロング、ロング・ウェイ・トゥ・ゴー」だけで、他の曲は心理状態を歌っていることが多い。「ヘヴンズ・ハング・イン・ブラック」が2度にわたって重苦しく流れ、アルバムの雰囲気を決定づける。ブラッキー・ローレスのギター、オルガン、多重ボーカルに、もう1人のギターがソロを加えている。9曲のうちテーマに沿う曲は8曲目までで、「ディール・ウィズ・ザ・デヴィル」は関連のない曲。前任のギターがソロをとっているので、「ネオン・ゴッド」の時期に録音したとみられる。日本盤は出ていない。
2009年。これまでで最もキリスト教の影響が強いアルバム。新約聖書のヨハネの黙示録に出てくる四騎士(フォー・ホースメン)のうち、青白い馬、すなわち人々を死に至らしめる騎士を現代の世界の指導者に見立てている。ジャケットのバンドロゴを四騎士の馬の色に合わせている。サウンドは前作よりやや明るめで、テーマの割には深刻さをあまり感じさせない。チャック・ベリーの「プロミスト・ランド」のカバーがアルバムの最後にあるのは話の流れ上理解できるが、ディープ・パープルの「紫の炎」は不要。日本盤は出ていない。
2015年。邦題「ゴルゴタの丘」。現在が破滅の直前であるという曲もあれば、内省的で悲観的な曲もあり、ブラッキー・ローレスの認知構造がよく現れている。支配する者とされる者、大きな力を持つ者とそれに抗う小さな者、といった対立する2つの存在を書いた曲が多い。大きな力を持つ者を歌詞の中で神と呼んでいることが多いため、アルバム全体が宗教性を帯びてくる。明らかに宗教的な曲は「アイズ・オブ・マイ・メイカー」と「ゴルゴタの丘」、政治的な曲は「スレイヴズ・オブ・ザ・ニュー・ワールド・オーダー」だけだ。「ネオン・ゴッド」以来の日本盤が出たが、サウンドは変わっていない。