SKID ROW

  • アメリカのハードロックバンド。ヘアメタル・ブームの末期に登場した。
  • ボン・ジョヴィの支援によってデビューしていることが、90年代以降に不利に働いた。
  • ボーカルのセバスチャン・バックは作曲家のヨハン・セバスティアン・バッハと同じ綴り。
  • セバスチャン・バックは96年に脱退。俳優として成功し、2000年代のソロアルバムはスキッド・ロウよりもヒットしている。

1
SKID ROW

1989年。大物新人としてデビュー。ボーカルのセバスチャン・バックとギターのレイチェル・ボランが中心。曲はハードながら覚えやすく、それを歌唱力のあるボーカルが歌うので他のバンドと差がつきやすかった。「ユース・ゴーン・ワイルド」はその象徴。「18・アンド・ライフ」「アイ・リメンバー・ユー」収録。

2
SLAVE TO THE GRIND

1991年。やや方向が変わり、ハードさを前面に押し出すようになった。したがって、ボーカルを歌い上げるというよりも叫ぶことが多くなった。チャート集計方法が変わった全米ビルボードで最初に1位となり、アルバムタイトル曲は代表曲として有名であるため、それなりの評価を受けている。しかし、サウンド転換の方向は正しくなかったと思われる。

 
B-SIDE OURSELVES

1992年。カバー曲集。ジューダス・プリースト、キッス、ラッシュ、ラモーンズ、ジミ・ヘンドリクスをカバー。ジューダス・プリーストのボーカル、ロブ・ハルフォードが参加。

3
SUBHUMAN RACE

1995年。ハードロック・ヘビーメタルのファンが、従来の路線とは大きく異なった流行のサウンドを提示したバンドに対して抱く嫌悪感。提示されたサウンドの善し悪しに関係なく生ずる不信感。それは、流行という、既に体制となってしまったものに追随することへの反感から生まれる。誰かが新しい音楽のスタイルなりサウンドなりを創造したとき、それは既存のスタイルに対する挑発行為であって、現場に揺さぶりをかけるものだ。ロックの世界では、最初に始めたアーティストが常に改革者である。ハードロックやヘビーメタルのバンドにとって、ハードでスピーディーなサウンドを追求することや、商業的成功を意識しないで活動することはもはやそれ自体が体制となっており、だからこそポイズンやウォレントのロックバンドとしての存在意義があるのである。しかし、そういうことを理解する現場のアーティストは少なく、スキッド・ロウもこのアルバムによって普通のバンドになってしまった。

 
SUBHUMAN BEINGS ON TOUR!!

1995年。ライブを6曲収録したシングル。「サブヒューマン・レース」の曲が1曲、「B-SIDE OURSELVES」から2曲。残りは「スレイブ・トゥ・ザ・グラインド」から。96年に解散。

4
THICKSKIN

2003年。ボーカル、ドラムが交代し再結成。

5
REVOLUTIONS PER MINUTE

2006年。