1971年。アップテンポなロックに、ギターやキーボードがハードなソロを乗せる。若さが前面に出ており、ボーカルもロックンロールの荒々しさがある。キーボードはピアノとオルガンがほとんど。ピアノの場合はリズム楽器として使われることが多い。「ジプシー・ウーマンズ・パッション」はギターソロのためにあるような曲。「ソフィスティケイテッド・レディ」はギターとキーボードにソロが割り当てられた曲。「ファイヴ・メン・ワー・キルド・トゥデイ」はオンド・マルトノを使う。最後の「デッド・アット・ラスト」は10分を超え、ドラムソロもあるが、やや長い曲にドラムソロが入っただけで編曲のうまさはみられない。ボーカルはこのアルバムのみで脱退し、スターキャッスルに加入。
1972年。邦題「輝く大地」。ボーカルがケヴィン・クローニンに交代。ギターソロ、キーボードソロを積極的に取り入れるロックンロール。キーボードはハモンドオルガン、ピアノを中心に使い、「恋に傷ついて」はシンセサイザーを使う。アルバムタイトルは6分半を超えるギターとキーボードの「リトル・クイニー」はチャック・ベリーのカバー。
1973年。邦題「ライディング・ストーム」。ボーカルが交代。スティーヴン・スティルスとテリー・リードのカバー以外、6曲をギターのゲイリー・リッチラスが作曲、前任ボーカルのケヴィン・クローニンが2曲を作曲している。シンセサイザーがよく使われるようになり、コーラスにはソウル風の女性コーラスが参加するようになった。全体の曲調はまだロックンロール調。オープニング曲の「ライディング・ザ・ストーム(嵐の中へ)」や「イッツ・エヴリウェア」はシンセサイザーの音の厚さとメンバーによるコーラスがポップさを作り出しており、曲に一般性が出てきている。全米171位。
1974年。ボーカルが10曲のうち5曲に関わり、ボーカルが変わっても作曲ができるメンバーを加入させている。キーボード奏者が作曲に関わっている2曲はピアノをリズム楽器として使うロックンロール調の曲で、もともとロックンロールの曲が多かったギターのゲイリー・リッチラスと同じ傾向を持っているようだ。「ダウン・バイ・ザ・ダム」「ワイルド・アズ・ザ・ウェスタン・ウィンド」「オン・ザ・ロード」はロックンロールの快活さとメロディーのポップさをうまく取り合わせた。全米98位。
1975年。邦題「こんどはホンキだぜ」。ボーカルとギターがメーン作曲者となった。「アウト・オブ・コントロール」はイーグルスの「ならず者」収録曲のカバー。「キャンデレラ」もイーグルス風のコーラスとメロディーになっている。これ以外の曲はやや平凡な出来だ。全米74位。
1976年。ボーカルにケヴィン・クローニンが復帰。ロックンロール調が多かったゲイリー・リッチラスは「エニ・カインド・オブ・ラヴ(一握りの愛)」「トゥナイト」などの曲でややポップなメロディーになった。ケヴィン・クローニンの曲は哀愁のあるメロディーのロック。「希望の明日(俺達の未来)」はピアノ、ストリングスも使ったいい曲だ。エンディングでシンセサイザーが使われる曲が多い。ハモンドオルガンは減った。「フライング・ターキー・トロット」はインスト曲で、エドガー・ウィンター・グループの「フランケンシュタイン」のような雰囲気がある。全米159位。
1977年。邦題「ライヴ~嵐の中へ」。ボーカルがケヴィン・クローニンなので15曲のうち「キープ・プッシン」と「輝く大地」から5曲ずつ選曲されている。6分を超える「ギター・ソロ」が1曲として収録されている。1カ所でのライブ録音ではなく複数の場所から選んでいるので、曲と曲の間の歓声はフェードアウトとフェードインを繰り返す。「157リヴァーサイド通り」「嵐より逞しく」がこのアルバムのハイライトだろう。8分を超える「輝く大地」を最後の曲にしたのも構成として素晴らしい。このアルバムで日本デビュー。全米72位。
1978年。邦題「ツナ・フィッシュ」。ポップになり、これまでで最も大きい変化となった。サウンドの変化よりも曲調の変化の方が大きい。ケヴィン・クローニンのほかにコーラスが4人参加しており、このうち2人はフールズ・ゴールドのメンバー。ボーカルの多くの部分でコーラスがつき、特に「女はいつも浮気なものさ」はほとんどの部分にコーラスがついている。オープニング曲の「無敵のロックン・ローラー」は後半の女性コーラスとオルガンソロがアクセントになっている。「ラッキー・フォー・ユー」はリードギター2本のハーモニー、ギターソロ、キーボードソロのままボーカルに戻らずフェードアウトする。全米29位。
1979年。前作のポップさとハードさを継続。「ドロップ・イット(アン・オールド・ディスガイス)」はベースとドラムがコーラスをとり、バンド内でコーラスも完結するようになった。「ミート・ミー・オン・ザ・マウンテン」もポップだ。熱帯風のパーカッションからハードロックに移っていく「イージー・マネー」、中音域の音階のまま抑揚が定型通りにならない「アイ・ニード・ユー・トゥナイト」はケヴィン・クローニンの作曲で、結果的には単調さを防いでいる。最後の「バック・オン・ザ・ロード・アゲイン」はベースがボーカルをとる。「ロックンロール・ミュージック」はチャック・ベリーのカバー。「テイク・ミー」はシカゴのビル・チャンプリンがコーラスで参加している。全米33位。
1980年。ベスト盤。各アルバムから1曲から4曲選ばれ、年代順に並んでいる。「貧者の息子」はアルバムバージョンではなく、ケヴィン・クローニンが歌っている未発表バージョン。「ライヴ~嵐の中へ」からも2曲入っており、そのあとの「157リヴァーサイド通り」「嵐より逞しく」は1979年のライブとなっている。ケヴィン・クローニンのあおりを入れた「157リヴァーサイド通り」は12分、「嵐より逞しく」は6分あり、この2曲がこのベスト盤のハイライトとなっている。全米55位。
1980年。邦題「禁じられた夜」。ケヴィン・クローニンとゲイリー・リッチラスが作曲、歌唱、演奏ともに力を発揮している。「キープ・オン・ラヴィング・ユー」「テイク・イット・オン・ザ・ラン」「涙のレター」「ドント・レット・ヒム・ゴー」がヒット。「涙のレター」は60年代前半のポップスのようなやや懐古調のサウンド。アメリカで大ヒットし、1981年に最も売れたアルバムとなった。全米1位。
1982年。キーボードがシンセサイザー風であることやギターの響きがいいことは前作を継承しており、全体のサウンドは変化がない。ベースが2曲作曲し、ボーカルもとる。バラードが前作ほどの強さがない。「アイル・フォロー・ユー」「真夜中の誓い」など、キーボードの活躍は大きい。「キープ・ザ・ファイア・バーニン」がヒット。全米7位。
1984年。ギターのゲイリー・リッチラスが単独で作った曲が1曲となり、共作を含めても9曲のうち3曲となった。ケヴィン・クローニンの単独が4曲、共作が2曲あるのでメーンの作曲者はケヴィン・クローニンとなっている。ベースが作曲した「スルー・ザ・ウィンドウ」はレゲエのリズムで、これまでと異なりボーカルをとっていない。「リブ・エブリー・モーメント」はパーカッションを使うポップな曲。エアプレイのトミー・ファンダーバークがコーラスで参加している。「涙のフィーリング」は全米1位のヒット。最後のアルバムタイトル曲は80年代のREOスピードワゴンにしては6分弱と長く、かつての「輝ける大地」を思わせる。全米7位。
1987年。邦題「人生はロックンロール」。ジャーニー、フォリナー、スティクス等の70年代型ハードロックバンドが80年代前半に成功し、80年代後半にはその勢いを衰えさせるが、同系統であるREOスピードワゴンもそれと同じ道をたどる。前向きでアップテンポの曲が多く、アルバムの最初と最後の曲はホーンセクションを使う。「トゥー・メニ・ガール・フレンズ」「オーバー・ジ・エッジ」はハードなロックンロール。「バラエティ・トゥナイト」は女性コーラス全米28位。
1988年。邦題「ザ・ヒッツ1973-1988」。ベスト盤。新曲2曲収録。「涙のルーズ・ユー」はメンバーの作曲ではなく、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」、シンディ・ローパーの「トゥルー・カラーズ」、ハートの「アローン」を作曲した2人によるメロディアスなロック。「ヒア・ウィズ・ミー」はケヴィン・クローニンが作曲に関わっているバラードだが、共作者はメンバーではなく、バンドの一体感に不安を残す。14曲のうちゲイリー・リッチラスの曲は1曲しかない。新曲を除く12曲のうち「禁じられた夜」以降の曲が7曲ある。全米56位。
1990年。ギターとドラムが抜け、キーボード、ギター、ドラムが加入。キーボード2人の6人編成。作曲はケヴィン・クローニンと新たに加入したキーボード奏者が中心。このころハードロックバンドにヒット曲を提供していたダイアン・ウォーレンのほか、トム・ケリー、マーク・スピロ、エイドリアン・ガーヴィッツも共作している。ゲイリー・リッチラスが担っていたロックンロールの曲はキーボード奏者が単独で作曲した「リヴ・イット・アップ」「ラヴ・トゥ・ヘイト」が代役を果たす。バンド名義で作曲している最後の2曲もロックンロール。メンバー以外と共作している4曲はヒット性があるが、結果にはつながらなかった。全米129位。
1991年。ベスト盤。全米108位。
1996年。キーボードが抜け5人編成。オープニング曲はアップテンポのロックンロール。「アイ・スティル・ラブ・ユー」はケヴィン・クローニンとスティーヴン・スティルスが共作。3曲目以降はミドルテンポとアップテンポが交互に並べられている。「ヘイ・ワイト・ア・ミニット」はベースのブルース・ホールが作曲し、ボーカルもとる。最後の「バラード・オブ・ジ・イリノイ・オープリー」はケヴィン・クローニンが1969年に作曲した、思い出の音楽ホールについての曲。日本盤は出ていない。
2000年。ライブ盤。2枚組の1枚目がスティクス、2枚目がREOスピードワゴンのライブ。最後の2曲はスティクスとREOスピードワゴンが協演しているので両方の盤に収録されている。
2007年。邦題「涙の道標」。10曲のうち7曲をケヴィン・クローニンが単独で作曲し、「デンジャラス・コンビネーション」はサバイバーのジム・ピートリクと共作、「アナザー・ライフタイム」はメンバー4人で共作している。ケヴィン・クローニンは声がやや低くなったが、1980年代のポップなロックをやっている。新しいファンを獲得するよりも、80年代のファンを安心させるサウンドになっている。「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」はベースが作曲し、ボーカルもとっている。