ラムシュタインはドイツのラウドロック、ヘビーメタルバンド。キーボード奏者を含む6人編成。ドイツ語で歌う。ドイツの青年運動にみられるドイツ人男性の理想像をハードなロックによって具体化したかのようなイメージがある。歌詞はKORNやマリリン・マンソンに近いものがあり、いくつかの曲は社会の暗部を描く。「ムター」で世界的にヒットするようになり、「最愛なる全ての物へ」でさらに高い評価を得た。
1995年。ギター2人、キーボードを含む6人編成。ドイツ出身。ヘビーメタル寄りのラウドロックに機械的な音のキーボードと音響効果を用いているので、現代風に聞こえる。ドイツ語で歌われ、ドイツ語特有の子音を強調した発音で歌われる。伸びやかに歌うよりは力強く、男性的であり、硬派なイメージがある。
1997年。邦題「渇望」。キーボードを多くし、より人工的なサウンドになった。しかし、キーボードの中にはメロトロンのような音も含まれ、複数の曲で女声コーラスが出てくる。この女声コーラスはバックで装飾的に響き、メロトロン等の古風な音ともに懐古的なイメージを呼び起こす。したがって、現代風サウンドに時折70年代的サウンドが混ざることになって、ヨーロッパ人の人気を得ることになる。アメリカのバンドならば、ナイン・インチ・ネイルズのようにひたすら人工的に突き進み、もはやロックとは呼べないところまでリミックスしてしまう。アメリカに懐古の喜びなど必要ない。このアルバムで日本デビュー。全米45位。
1999年。ライブ盤。ベルリンはラムシュタインの地元。全米179位。
2001年。キーボードの量を大きく減らし、ヘビーメタルに近くした。キーボードはストリングス風であったり、コーラス風であったりするが、従来のヨーロッパのヘビーメタルに多く聞かれる音を使っている。前作の路線が発展したといえる。ボーカルとギターの音が伝統的なヘビーメタルと若干異なるだけで、いわゆるインダストリアル・メタルとは異なるのではないか。これを新しいヘビーメタルとしてとらえることができなければ、ヘビーメタルは思考停止のジャンルになる。
2005年。邦題「ライゼ、ライゼ~南船北馬」。「アメリカ」「モスクワ」「アムール」「ダライ・ラマ」のタイトルを見ると、70年代ミュンヘン・ディスコのジンギスカンを思い出す人は相当数いると思われる。前作に続き、キーボードは大仰で、「ライゼ、ライゼ」「オーネ・ディヒ」はオーケストラが使われる。サウンドが大仰になっていくのはヨーロッパ人のアイデンティティであって、ラムシュタインのサウンドがラプソディーやセリオンに近づいてもなんら不思議ではない。実際、「渇望」から「ライゼ、ライゼ~南船北馬」まではそのように推移している。「モスクワ」ではアコーディオン、女声ボーカルを使用。「アメリカ」はヒット性に富む。日本盤ボーナストラックはペット・ショップ・ボーイズとアレック・エンパイアのリミックス・バージョン。
2005年。2009年に本来のジャケットで再発売された。18分のライブDVDが付いている。
2005年。ゴシック・ロックの雰囲気を出し、ボーカルの声は低く、コーラスは勇壮だ。ドイツ自体に男性的なイメージがあるのに加え、サウンドも武骨で硬派、曲によっては無慈悲を感じさせる。多分に肉体的で、ロックに男性性を(無意識にでも)求めている人には最適なアルバムだ。「愛してるぜ、ねえちゃん」はホーンセクションが入り、キャバレーのサウンドになっている。日本盤は2009年発売。
2009年。邦題「最愛なる全ての物へ」。2枚組。2枚合わせても68分。ボーカルに表現力が増し、演劇的になっている。絶叫型、咆哮型のボーカルなら、以前からアメリカに存在するようなサウンドになってしまうが、力強くドイツ語で歌うところがゴシックを感じさせる。アメリカ人のような筋肉質のボーカルではなく、心性が男臭い。曲を聞く前に目に入るジャケット、パッケージ内部の写真が物語性を暗示させ、聞き手に心の準備をさせる。ラムシュタインがイギリスやアメリカのアーティストだったとしても、ゴシック・ロックのアーティスト群に埋もれていないだろう。各々の曲もコンパクトで、ヘビーメタルのアーティストによくある展開の多い長い曲はない。
2019年。タイトルがないアルバム。便宜上のタイトルもない。それぞれの曲が独立しており、関連していないが、現実と内心の乖離、葛藤に関する曲が多い。オープニング曲の「ドイチュラント」はドイツを擬人化した曲。「ツァイク・ディッヒ(姿を見せろ)」はラテン語の合唱が伴い、ストリングスも入る。教会批判とみられる。「セックス」「プッペ(操り人形)」等は心の苦しみを描く。