1987年。パブリック・エナミーはMC3人、DJ1人、プロデュース・チーム数人(ボム・スクワッド)によるヒップホップ・グループ。MCのチャック・Dがロックさながらの攻撃的な歌詞を歌い、ヒップホップ・ファンのみならずロック・ファンにも注目された。「ビートとラップがヒップホップの基本」とでもいうようなシンプルなサウンド
1988年。邦題「パブリック・エナミーII」。「ドント・ビリーヴ・ザ・ハイプ」「ブリング・ザ・ノイズ」「マインド・テロリスト」などによってパブリック・エナミーが一気に知名度を獲得した代表作。パブリック・エナミーというグループ名を単なるグループ名ではなく、サウンドと歌詞によって内実を伴う名前としている。同じ年にラン・DMCは「タファー・ザン・レザー」を発表し、ヒップホップがアフリカ系アメリカ人の新しいカウンターカルチャー(反体制文化)と(白人に)受け止められるようになった。
1990年。社会に対する挑発姿勢では前作を上回り、代表作に挙げる人が多いアルバム。言葉や修辞上の技巧が高いレベルに到達し、「ファイト・ザ・パワー」はよく研究対象にされる。アルバム全体の猥雑さもアフリカ系文化の雰囲気をよく表している。「911イズ・ア・ジョーク」の911は救急車を電話で呼ぶときの電話番号。白人居住区とアフリカ系居住区では平均到着時間が違うことを歌っている。
1991年。邦題「黙示録'91」。全盛期のパブリック・エナミーが発表したアルバムとしては「パブリック・エナミーII」と「フィアー・オブ・ア・ブラック・プラネット」に比べてやや人気が落ちるが、社会意識の高さは従来と変わらない。むしろ高くなっているとも言える。かつてニール・ヤングが「サザン・マン」で歌ったように、「アメリカ南部の我々は虐げられている、搾取されている、と言うけれども、虐げられる原因は現状追認に逃避したがるあなたがたにもあるのではないか」というメッセージを、パブリック・エナミーも(同じアフリカ系に対して)発している。
1992年。デビュー以降のシングル曲を集めた企画盤。一部はリミックスバージョンが収録されている。「ブリング・ザ・ノイズ」はアンスラックスと共演したバージョンと単独バージョンの2種類収録。日本盤は92年春までの詳しい年譜が付いている。
1992年。企画盤。新曲6曲、リミックス6曲、ライブ1曲の13曲。ライブは音質がよくない。
1994年。邦題「ミュージック&アワ・メッセージ」。リズムはドラムセットを使っている。前作に引き続きチャック・Dは舌鋒鋭く現体制や歴史を批判し、フレイヴァー・フレイヴはヒップホップそのものの楽しさを伝える。しかしヒップホップ全体の流行はギャングスタ・ラップに移っており、内容はいいにもかかわらず商業的には成功していない。「レイス・アゲインスト・タイム」はルーベッツの「シュガー・ベイビー・ラブ」のイントロを引用しているようなメロディー。このアルバムで活動を一時休止し、その間にギャングスタ・ラップの2パックとザ・ノトーリアスB.I.G.が死亡した。
1998年。映画「ヒー・ガット・ゲーム」のサウンドトラック。全曲がパブリック・エナミーの曲。サウンドトラックであり、活動再開後4年ぶりの録音なので、以前のパブリック・エナミーの雰囲気ではない。ハードコアらしさは薄くなり、余裕を持たせたサウンドとなっている。
1999年。邦題「ポイズン」。パブリック・エナミー、特にMCのチャック・Dが訴えるアフリカ系アメリカ人の意識改革からは、現実のヒップホップが逆方向に行っている。しかし、主張を変えることなく激しい糾弾を続け、それがパブリック・エナミーの存在価値につながっている。サウンドは「ヒー・ガット・ゲーム」に近く、アフリカ系の危険なムードとは一線を画している。有名アーティストでは初めて、全曲がデジタルデータでダウンロードできるアルバムとなった。
2002年。新曲の間にライブや短いインタビュー、バージョン違いなどを挟んでいる変則的なアルバム。ギャングスタ・ラップや一般的な男性ソロ・アーティストのアルバムからは想像できないほど真面目で社会的な内容だ。「サン・オブ・ア・ブッシュ」をはじめとして、当時のブッシュ大統領を非難する詞も当然はいっている。アフリカ系アメリカ人の苦難の歴史に関する知識は圧倒的だ。
2005年。アルバムタイトルは「ニュー・ワールド・オーダー」の語呂合わせ。「ブリング・ザット・ビート・バック」はアイザック・ヘイズの「黒い戦争」をサンプリング。「チェック・ワット・ユア・リスニング・トゥ」はランDMCの「ハード・タイムス」をサンプリング。最後の曲はパブリック・エナミーで最長の12分弱ある。日本盤は出なかった。
2006年。パブリック・エナミーと同様の政治的主張をしてきたヒップホップ・アーティスト、パリスと共演。歌詞もパリスが書いているようなので、チャック・Dは歌っているだけということになる。パブリック・エナミーの個性の要と言えるチャック・Dが詞を書いていないのは、パブリック・エナミーの威光が薄れるように思える。
2007年。DVD付き2枚組。日本盤は出ていない。