1986年。邦題「ポイズン・ダメージ」。いわゆるヘアメタル(80年代ヘビーメタル)をデビュー当初から体現していたグループ。当時のヘビーメタルバンドのほとんどは見られることを意識したファッションをしていた。いかにもスター性を狙ったような派手なファッションを恥ずかしいと感じるバンドは、黒の皮ジャケットに錨を打ち、それが「硬派」なのだと自らを納得させていた。黒の皮ジャケットが「硬派」で、派手なファッションが「軟派」だと考えることが極めて保守的であることは、ビートルズの時代から言われていることだった。派手なファッションのバンドは、それだけで多くのロックファンから蔑視されると同時に多くの女性ファンを獲得する。このようなバンドは、派手なファッションによって「硬派」を気取るファンを挑発し続け、「硬派」なファンはこれを批判することによって挑発にひっかかり続けている。オジー・オズボーンのようなアーティストでもいまだポイズンを軟弱バンドと言っているのは情けない。サウンドはロックンロールで、ライブで盛り上がりやすい曲が多い。わざわざ狙って書けるような曲ではないことは十分わかる。オープニング曲のイントロはロネッツの「あたしのベイビー」を思い出す。全米3位、300万枚。「トーク・ダーティ・トゥ・ミー(私にもっと汚い言葉を吐いて)」は9位、「アイ・ウォント・アクション」は50位、「アイ・ウォント・フォーゲット・ユー」は13位。101週チャートインはボン・ジョヴィの「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」よりも長い長期ヒット。
1988年。邦題「初めての***AHH」。ロックンロールの名盤。どの曲も覚えやすく、中だるみしない。「エブリ・ローズ・ハズ・イッツ・ソーン」はすばらしいバラード。ガンズ・アンド・ローゼズの「アペタイト・フォー・デストラクション」の後に出たのでやや過小評価されている。「ユア・ママ・ドント・ダンス」はロギンス&メッシーナのカバー。全米2位、500万枚。「ナッシン・バット・ア・グッド・タイム」は6位、「フォーリン・エンジェル」は12位、「エブリ・ローズ・ハズ・イッツ・ソーン」は1位、「ユア・ママ・ドント・ダンス」は10位。
1990年。「今夜ケモノのように」というサブタイトルがついている。音に厚みがつき、大物バンドらしさをたたえる。プロデューサーを人気のブルース・フェアバーンにしたことは大成功だ。キーボードを適度に使用し、サビはコーラスがきれいに決まっている。ギターが格段によくなった。全米2位、300万枚。傑作。「アンスキニー・バップ」は3位、「サムシング・トゥ・ビリーブ・イン」は4位、「ライド・ザ・ウィンド」は38位、「ライフ・ゴーズ・オン」は35位。
1991年。2枚組ライブ。17曲のうち、イントロやギター・ソロ、ドラム・ソロを除けばほとんどがシングル曲。スタジオ録音の新曲が4曲。「ノー・モア・ルッキン・バック(ポイズン・ジャズ)」は明るめのロック。全米51位。
1993年。ギターがリッチー・コッツェンに交代。ホーン・セクションや女性コーラスを使い、アメリカのルーツ音楽に近づいている。ブルースよりはソウルやゴスペルに近い。こうしたサウンドにするならば、ブレット・マイケルズのボーカルは力が不足している。イーグルスのティモシー・B・シュミット、エアプレイのトミー・ファンダーバーグ、レーナード・スキナードのビリー・パウエル、シーラ・E、タワー・オブ・パワーなどが参加。特にキーボードはキャリアのあるセッション奏者ばかり。全米16位。「スタンド」は50位。
1996年。ベスト盤。全米2位。
2000年。ギターがブルース・サラセノに交代。サウンドの厚さを変えずに初期のロックン・ロールに戻った。「カバー・オブ・ザ・ローリング・ストーン」はドクター・フック&メディシン・ショーの「あこがれのローリング・ストーン」のカバー。原曲に忠実。デモ・バージョンやライブを8曲収録。全米131位。
2000年。ギターにC.C.デビルが復帰。新曲5曲、ライブ12曲。全米166位。
2002年。