1984年。邦題「赤い薔薇を僕に」。アイルランドの民謡を取り入れたロック。アコーディオン、バンジョー、笛の専任メンバーがおり、ボーカル兼ギター、ベース、ドラムの6人編成。中心人物はボーカル兼ギターのシェーン・マガウアン。ギターはアコースティック・ギターを使い、エレキ・ギターは出てこない。ロックというよりは、アイルランド民謡にドラムとベースが入っているという方が正確か。少なくともギターはメーンのメロディー楽器ではない。激しさよりも楽しさが先に立つ。13曲のうち5曲は民謡の編曲。バンドのデビューのいきさつから、パンクの変種とする見方がある。
1985年。邦題「ラム酒、愛、そして鞭の響き」。専任ギターが加入し7人編成。ほかにバイオリン、バグパイプ(イーリアン・パイプ)、ホーンが参加している。民謡の編曲は3曲。バイオリンとバグパイプが入ったことで民謡演奏の幅が広がり、ますますロックとの距離感があいた。「ダーティ・オールド・タウン」はバイオリンとバグパイプが活躍。「ザ・バンド・プレイド・ワルティング・マチルダ」収録。プロデューサーはエルビス・コステロ。ジャケットはロマン派絵画の先駆者ジェリコーの「メデュース号の筏」をもとにしている。
1988年。邦題「堕ちた天使」。ベースが交代。ダルシマ奏者が増え8人編成。各メンバーの担当楽器も増え、サウンドが厚くなった。ドラムもパーカッションからロックのドラムに移行した。このアルバムから本格的なロック・バンドになった。ゲストで参加しているホーン・セクションも5人。ギター、バンジョー、マンドリン、ダルシマなどの弦楽器が厚いハーモニーを構成し、「ニューヨークの夢」は男女ボーカルでストリングスも入るクリスマス・ソング。民謡の編曲は2曲。
1989年。ホーン・セクションとストリングスの量が多くなり、サウンドが派手になった。民謡の編曲はなく、全曲がメンバーの作曲。雰囲気はデビュー以来変わらない。
1990年。「堕ちた天使」のころのサウンドに戻り、ややメロディアスになった。プロデューサーはクラッシュのジョー・ストラマー。ボーカルはジョー・ストラマーに似た歌い方で、デビュー以来あまり変わらないが、バックの演奏は楽器が入れ替わってもメロディアスなロックとして通用する。音楽の幅がアイルランド民謡からカントリーやブルーグラス、アフリカ音楽等まで広がった印象。明らかにジョー・ストラマーの影響だ。「さようなら」の詩の舞台はタイだという。
1990年。シングル盤。「ホンキー・トンク・ウーマン」はローリング・ストーンズのカバー。「ウィスキー・イン・ザ・ジャー」はポーグスとダブリナーズが編曲。
1993年。ボーカル兼ギターのシェーン・マガウアンが抜け7人編成。ボーカルは笛奏者が兼任。中心人物が抜けてもサウンドにそれほどの変化はないが、マンネリ化は否めない。ボーカルが抜ける抜けないに関係なく新機軸が欲しかった。「パチンコ」は日本のパチンコのことを歌っている。
1993年。シングル盤。アルバム未収録曲1曲、ライブ3曲収録。ライブの「ターキッシュ・ソング」「ロンドン・コーリング」「アイーフォート・ザ・ロウ」はクラッシュのジョー・ストラマーがボーカル。「ロンドン・コーリング」と「アイ・フォート・ザ・ロウ」はポーグスがいつもどおりのアイルランド民謡調で演奏する。このライブ3曲に価値があることは疑いようがない。しかしジョー・ストラマーの状態はよくない。2枚組ベスト盤にも収録されなかった。
1995年。アコーディオン、マンドリン、ギターが交代。オープニング曲はロニー・レインの「ハウ・カム」のカバーだが、2曲目以降名曲が続く。「堕ちた天使」のころの軽快さ。ボーカルも向上した。ピアノや女声コーラスが入る曲もある。内容は前作を上回る。「船が入ってくるとき」はボブ・ディランのカバー。ライナーノーツの日本語訳の注釈は「メデュース号の筏」が「ラム酒、愛、そして鞭の響き」のモチーフになっていることを書いておらず不親切。
2001年。ベスト盤。