PETER,PAUL AND MARY

  • ギター、ボーカルのピーター・ヤーロウを中心とするフォークグループ。ポール・ストゥーキーもボーカル、ギター、マリー・トラヴァースはボーカル専任。
  • 1950年代半ばに、大学生を中心に起きた20年代、30年代のフォークのリバイバルブームで結成。キングストン・トリオ、ブラザーズ・フォーとともに中心的フォークグループとなる。
  • ボブ・ディランの「風に吹かれて」をカバーし、ヒットしたことでボブ・ディランが知られるようになった。
  • 代表曲は「花はどこへ行った」「レモン・トゥリー」「500マイルもはなれて」「パフ」「悲しみのジェット・プレーン」。

1
PETER,PAUL AND MARY

1962年。1950年代のフォークのカバーと自作曲を収録。男性が中心だったフォークグループに、女性を擁するグループで登場し、3声を生かしたコーラスで人気を得た。「悲惨な戦争」はピーター・ヤーロウとポール・ストゥーキーの共作で、「500マイルもはなれて」「レモン・トゥリー」はカバー。「天使のハンマー」はピート・シーガーがいたウィーヴァーズのカバー、「花はどこへ行った」はピート・シーガーのカバー。全米1位。

2
MOVING

1963年。「パフ」を収録。「わが祖国」はウディ・ガスリーのカバー。民謡とゴスペルをフォークに編曲した曲が中心。大学生のフォーク・リバイバルを反映しているのはこのアルバムまでと言える。全米2位。

3
IN THE WIND

1963年。ボブ・ディランの「くよくよするなよ」「風に吹かれて」をカバーし、両方がシングルになった。これがヒットしてボブ・ディランはアメリカの大学生に知れ渡るところとなり、ボブ・ディランが世界的なアーティストになるきっかけとなった。「くよくよするなよ」と「風に吹かれて」を選んだのも、曲として優れているからであって、社会的影響は考えなかっただろう。むしろ「戦争の親玉」などは露骨でカバーの対象から除外したのではないか。この2曲以外は前作と同様に民謡とゴスペルを取り上げている。裏ジャケットにはボブボブ・ディランが解説を寄稿し、ワシントン大行進での公演の写真が使われている。全米1位。

IN CONCERT

1964年。ライブ盤、2枚組。若年層向けのアルバムでの2枚組は初とみられている。曲間のしゃべりをカットせずに入れており、「ア・ソーリン」「カー・カー」等では観衆の大きな笑い声が入る。「ポールの語り」は13分近くのしゃべりで、曲ではない。「カー・カー」と「ポールの語り」はいずれも車が若者文化に不可欠になっていることを示している。サーフィン、ホットロッドが流行している時期にも一致する。「ロック・マイ・ソウル」は演奏者用のマイクを観客に向け、コーラスのたびに歌わせているような音になっている。ライブでの観客との一体感をつくる技術が分かる例として貴重。全米4位。

4
A SONG WILL RISE

1965年。邦題「歌声は永遠に」。「ホエン・ザ・シップ・カムズ・イン」はボブ・ディランの「船が入ってくるとき」のカバー。「ギルギャリー・マウンテン」は「ウィスキー・イン・ザ・ジャー」、「母のない子」は「時には母のない子のように」で知られる曲。「ムーヴィング」のころのように民謡、ゴスペルがメーンで、「ホエン・ザ・シップ・カムズ・イン」もその方向性で選ばれたとも言える。全米8位。

5
SEE WHAT TOMORROW BRINGS

1965年。邦題「明日をみつめて」。ボブ・ディランから離れ、ゴードン・ライトフット、トム・パクストンのカバーを含む。民謡のカバーも多いが、新しい点は「すべてが兄弟」だろう。バッハの「マタイ受難曲」で最も有名なコラール「血潮したたる主の御頭」のメロディーを使っているが、この曲のメロディー自体はバッハの作曲ではなく別人。全米11位。

6
THE PETER,PAUL AND MARY ALBUM

1966年。カントリー、フォークロックを取り入れ、デビュー以降最大のサウンド変化となった。「キング・オブ・ネイムス」はアル・クーパーのオルガンとポール・バターフィールドのハーモニカが使われるフォークロック。「ハリー・サンダウン」はホーンセクションが加わり、音楽的に質が上がっている。「ノーマン・ノーマル」は当時としては実験性の強い曲だっただろう。サイケデリックロックの影響かどうかは分からない。12曲全てにメンバー以外のゲスト参加者がおり、8曲は複数の参加がある。全米22位。

7
ALBUM 1700

1967年。オープニング曲のフォークロック、その次の「悲しみのジェット・プレーン」でアルバム全体の質の高さが分かる。ドラムやキーボードを使うが、前作ほど「ロック天国」はママス・アンド・パパス、ドノバン、ビートルズが出てくるが、それぞれ「マンデー・マンデー」「サンシャイン・スーパーマン」「タックスマン」をパロディーにしているようだ。全米15位。

IN JAPAN

1968年。ライブ盤。録音は1967年。多くの曲に俳優中村哲による語りのような司会が入る。「ポールの語り」はメンバーの日本体験を、「イン・コンサート」の時と同じように擬声語を多用して再現する。「パフ」は日本語の歌詞で歌ったあと、観客と一緒に歌う。「わが祖国」は地名を一部日本仕様にして歌う。日本の観客は歓声よりも拍手が中心。日本のみの発売。

8
LATE AGAIN

1968年。バンドサウンドのほか、オーケストラも使い、曲によってはボーカルが多重録音になる。サウンド面での制限を外し、ロックのリズム感、ドラムの推進力を生かしている。子ども向けの曲がなくなり、どの曲もまじめだ。「アイ・シャル・ビー・リリースト」はキーボードを中心とするサウンドで、ソウル風の女性コーラスが入る。メンバーのボーカルハーモニーを生かすよりは、サウンドに負けないよう力強く歌っていることが多い。「ピーター、ポール・アンド・マリー・アルバム」と並ぶロック寄りのアルバム。全米14位。

9
PETER,PAUL AND MOMMY

1969年。子どもとともに歌い、演奏もアコースティックギター中心に戻った。裏ジャケットには子どもと一緒に録音するメンバーの写真が使われている。「不思議なおもちゃ」「動物園へ行こう」は子ども向けの楽しい曲。多くの曲に動物が出てくるのも子ども向けを意識したからだろう。「パフ」はマンドリンと児童合唱が加わった新しいバージョン。全米12位。

THE BEST OF PETER,PAUL AND MARY:TEN YEARS TOGETHER

1970年。ベスト盤。この年解散。1978年に再結成し、3年から5年間隔で8枚のアルバムを出している。