1972年。60年代にマンフレッド・マンのキーボードとして活動したマンフレッド・マンがマンフレッド・マンズ・チャプター・スリーを経て結成したバンド。ボーカル兼ギター、キーボード、ベース、ドラムの4人編成。ボーカル兼ギターはミック・ロジャース、ドラムはクリス・スレイド。マンフレッド・マンがムーグを本格的に使った最初の作品。ランディ・ニューマンやボブ・ディランの曲をカバーしている。カバーの多いバンドだが、この時点ではカバー曲と自作曲の差が大きい。インストは刺激に欠ける。
1972年。アルバム・タイトル曲は実験的要素を多分に含んでいる。前作と同路線。
1973年。「クラウディ・アイズ」は名曲。マンフレッド・マン作曲だがギターの泣きがすばらしい。曲が長くなってきた。メロディーもなじみやすくなってきている。
1973年。オープニング曲はボブ・ディランの曲で、それ以外はバンドのオリジナル曲。太陽系をテーマにしたコンセプト盤。初期の傑作。特にオープニング曲のアレンジはすばらしい。プログレッシブ・ロックの名曲として語られるべき作品。アース&ファイアの「アムステルダムの少年兵」のような感動がある。のちにバンドの定番となるギターとキーボードのかけ合いもこのアルバムから始まる。ラスト曲もいい曲。バンドの評価を一気に押し上げた。初期メンバーの作品では唯一全米100位以内に入っている。
1974年。初めてボブ・ディランのカバーが出てこないアルバムになった。代わりにオープニングはスプーキー・トゥースのゲイリー・ライト作曲となっている。ポピュラリティーを獲得できる水準まで曲がこなれてきた。
1975年。あか抜けないブリティッシュ・ロックの音が好きな人はこのアルバムを高く評価するようだ。実際、「ビジョナリー・マウンテンズ」やブルース・スプリングスティーンの「スピリッツ・イン・ザ・ナイト」はラジオでもよくかかる。このアルバムまでが、マンフレッド・マンズ・アース・バンドの前期。
1976年。題「静かなる叫び」。ボーカルがクリス・トンプソンに交代し、専任のギターも加入、5人編成になった。オープニング曲は再びブルース・スプリングスティーンの曲で「光に目もくらみ」。これが全米1位の大ヒット。これに伴いアルバムも全米10位のヒット、イギリスでもマンフレッド・マンズ・アース・バンドとして初めてチャートに登場した。マンフレッド・マンはこの曲の最後でリード・ボーカルを取っている。斬新なアレンジがようやく成果を出した。「イルカの歌」はマイク・ヘロンのカバー。
1978年。ウェストコーストとかAORの爽快さ、音のクリアさが感じられる。その最たる曲が「カリフォルニア」で、人気の高い曲だ。ザ・バンドのロビー・ロバートソン作曲の「デイビーズ・オン・ザ・ロード・アゲイン」とボブ・ディランの「マイティ・クイン」はライブ。どっちもいい曲だ。「デイビーズ・オン・ザ・ロード・アゲイン」はイギリスでヒット。
1979年。ドラムが交代。「ドント・キル・イット・キャロル」は77年のマイク・ヘロンのカバー。ボブ・ディランの「ユー・エンジェル・ユー」はアメリカでヒット。それ以外の曲との質の差が大きい。「ハリウッド・タウン」はマンフレッド・マンのキーボードが活躍。
1981年。ギターとボーカルが脱退し、キーボード、ベース、ドラムの3人になった。レコーディングには多数のゲスト奏者が参加している。脱退したクリス・トンプソンも3曲でボーカルをとっている。最大の目玉はイエスのギター、トレバー・ラビンの参加。マンフレッド・マンとともにプロデュースもしているが、それほど個性を出しているわけではない。ブルース・スプリングスティーンの「フォー・ユー」が秀でている。
1983年。誰もが驚くアフリカン・ミュージックへの傾斜ぶり。全編にわたり、アフリカのリズムで満たされている。ゲスト・ミュージシャンもアフリカの人を起用。ディスコチックなサウンド処理もある。カバーはボブ・マーリー、アル・スチュワート、スティングとこれまで考えられなかった曲を採用。前回に続きギターにトレバー・ラビン参加。異色のアルバム。
1984年。初のライブ盤。途中でボーカルがフェード・アウトする「光に目もくらみ」をライブでどう再現しているかが分かる。「スプリッツ・イン・ザ・ナイト」「マイティ・クイン」収録。
1986年。ボーカルにクリス・トンプソンが復帰。ギターとキーボードが曲を引っ張るが、クリス・トンプソンのボーカル以外に目立つところがない。キーボードが活躍するのはむしろこのバンドでは当然なので、もう少しきわだった何かが欲しいところだ。
1987年。
1991年。
1992年。13枚組ボックス・セットに入っている企画盤。英BBCのロサンゼルス・オリンピック番組のテーマ曲と48分の長いインタビュー収録。
1996年。60年代から80年代は精力的に活動していたが90年代はスタジオ盤が2枚しかない。
1999年。大量にあるベスト盤のうち買う価値があるのはこの作品くらい。入手困難なシングル・バージョンが多く、リマスターされている。収録曲も多い。
2000年。上記の続編。