1969年。邦題「帰ってほしいの」。ジャクソン・ファイヴのデビュー盤。10歳のマイケル・ジャクソンから16歳のジャッキー・ジャクソンまでの男性5人で、メーンボーカルは曲によって異なる。50年代から60年代のアルバム作りのあり方を踏襲し、職業作曲家が作曲、音楽出版社が譜面として出版した12曲を、職業演奏家の伴奏に従ってジャクソン・ファイヴが歌っている。従って、有名アーティストが作曲した曲は、カバーというよりも話題の曲という感覚で歌っている。「シャドウズ・オブ・ラヴ」はフォー・トップスの曲で、ホランド・ドジャー・ホランドのチームが作曲。「マイ・シェリー・アモール」はスティービー・ワンダー、「フーズ・ラヴィン・ユー」はスモーキー・ロビンシン&ザ・ミラクルズ、「スタンド!」はスライ&ザ・ファミリー・ストーンの曲。ホランド・ドジャー・ホランドの曲はアップテンポの方がよい。
1970年。マイケル・ジャクソンのボーカルが多くなり、伴奏はオーケストラとバンドの同時演奏がほとんどになった。マイケル・ジャクソンの高音ボーカルは際だって目立つ。「ララは愛の言葉」はデルフォニクス、「アイム・ザ・ワン」はミラクルズ、「ドント・ノウ・ホワイ」はスティービー・ワンダーの曲。「ドント・ノウ・ホワイ」のマイケル・ジャクソンは驚異的ボーカルだ。「小さな経験」収録。
1970年。邦題「アイル・ビー・ゼア」。リードボーカルが2人以上いる曲を含めると、11曲のうち8曲をマイケル・ジャクソン、6曲をジャーメイン・ジャクソンがリードボーカルを取る。オーケストラ、ホーンセクションが控えめになり、バンド中心のサウンド。サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」は原曲の印象が強いため、ジャクソン・ファイヴが歌うとこの曲が持つ社会性が薄れる印象がある。「レディ・オア・ノット」はデルフォニクス、「まぼろしの恋」はミラクルズの曲。ジャクソン・ファイヴのアルバムでは最も多く売れている。
1970年。ストリングスを含むバンドサウンドのクリスマス曲集。「アイル・ビー・ゼア」の雰囲気で、曲をクリスマスのスタンダード曲に置き換えたようなアルバム。リードボーカルもマイケル・ジャクソンとジャーメイン・ジャクソンが分け合う。「サンタが町にやってくる」がヒットし、ポピュラー音楽全体のクリスマス曲としても有名になっている。「屋根に登ろう」はホーンセクションを入れ、ポップで快活。「ママがサンタにキスをした」はキスの音まで入る。
1971年。邦題「さよならは言わないで」。ジャクソン・ファイヴのために結成された作曲チーム「ザ・コーポレーション」の曲が11曲のうち6曲あり、4曲は2分55秒から2分59秒に収まっている。「ABC」での4曲もすべて3分弱になっており、フェードアウトしてでも3分以内を守るようだ。マイケル・ジャクソンが声を張り上げて歌うポップな曲が少ない。
1971年。邦題「インディアナへ帰ろう」。ジャクソン・ファイヴが主演するTV番組のサウンドトラック。「スタンド」から「インディアナへ帰ろう」までの5曲はジャクソン・ファイヴの故郷でアメリカ・インディアナでのライブ。テレビ番組での「帰ってほしいの」「きっと明日は」もライブで、ストリングスがギターとキーボードで代用されている。スタジオ録音と変わらない、あるいはそれを上回る歌唱は見事だ。「ザ・デイ・バスケットボール・ワズ・セイヴド」は8分にわたる実況のような曲で、ジャクソン・ファイヴではなくテレビ番組の出演者のボーカル。「インディアナへ帰ろう」はマイケル・ジャクソンも聴衆を煽動している。「フィーリング・オールライト」はトラフィック、「ウォーク・オン」はアイザック・ヘイズの曲。
1972年。マイケル・ジャクソン初のソロアルバム。「さよならは言わないで」の路線。聞き手の対象はマイケル・ジャクソンの同年代ではなくその親世代や20歳前後というような曲が並ぶ。ジャクソン・ファイヴのアルバムに関わっていたプロデューサーがそのまま参加し、選曲もしているとみられるが、ジャクソン・ファイヴの他のメンバーは参加していない。ロックンロールの「ロッキン・ロビン」はアップテンポでポップだが、アルバムの中では雰囲気が異なる。「恋ははかなく」はシュープリームス、「きみの友達」はキャロル・キングの曲。
1972年。邦題「かわいい悪魔」。マイケル・ジャクソンが変声期に入り、「ルッキン・スルー・ザ・ウィンドウズ」「トゥ・ノウ」「チルドレン・オブ・ザ・ライト」は高い声が出にくくなっているのをこらえて歌っているのが分かる。それでも「恋の呪文」は従来の高揚感を感じさせる。「ドクター・マイ・アイズ」はジャクソン・ブラウンの曲。「チルドレン・オブ・ザ・ライト」はシングルになってもよかった。「かわいい悪魔」収録。
1972年。邦題「ベンのテーマ」。タイトル曲は映画のテーマ曲になっている。「マイ・ガール」はスモーキー・ロビンソンが作曲したテンプテーションズの曲。「愛の世界」はスタイリスティックス、「エヴリボディズ・サムボディズ・フール」はコニー・フランシス、「シュ・ビ・ドゥ・ビ・ドゥ・ダ・デイ」はスティービー・ワンダーと、アフリカ系ポップス、ソウル系の曲を多く歌っている。方向性は「ガット・トゥ・ビー・ゼア」と変わらない。
1972年。マイケル・ジャクソンに限らず、メンバーがリードボーカル自体を減らし、コーラス主体のポップスになった。タイトル曲や「ワールド・オブ・サンシャイン」はサンシャインポップのような爽快さがある。マイケル・ジャクソンの声変わりが鮮明になり、高い声がやや高い声になっている。ギター、キーボードはソウルの主流に近くなり、ダンス音楽としても通用する。「タッチ」はシュープリームス、「アイ・キャント・クイット・ユア・ラヴ」はフォー・トップスの曲。
1973年。「オール・ザ・シングス・ユー・アー」「ドッギン・アラウンド」「モーニング・グロウ」が節目の役割を果たし、ミドルテンポとアップテンポがいいバランスで含まれる。「トゥー・ヤング」は50年代のスタンダードらしいナット・キング・コールの曲、「ウィズ・ア・チャイルズ・ハート」はスティービー・ワンダーの曲だが作曲はスティービー・ワンダーではない。「ハッピー」はスモーキー・ロビンソンの作曲。ジャケットではマイケル・ジャクソンがギターを弾いているように見えるが、曲では弾いていない。この時期、アメリカを含む世界のポピュラー音楽は自作自演が主流となっており、50、60年代のアルバム制作は時代に合っていない。しかし「オール・ザ・シングス・ユー・アー」「モーニング・グロウ」は時代を超える名曲だ。
1973年。ライブ盤。マイケル・ジャクソンのソロ3曲、ジャーメイン・ジャクソンのソロ1曲を含む。マイケル・ジャクソンの変声期を記録したライブと評されることが多く、「ガット・トゥ・ビー・ゼア」「ベンのテーマ」「さよならは言わないで」「キミはボクのマスコット」では苦しさが伝わってくる。「迷信」はスティービー・ワンダー、「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」はテンプテーションズ、「エイント・ザット・ペキュリア」はマーヴィン・ゲイの曲。聴衆は拍手と手拍子が中心で、アイドルに対してのような歓声はない。日本盤は曲間の会話も含めて対訳がついている。
1973年。ファンク寄りのサウンドになり、8分を超える「ハム・アロング・アンド・ダンス」、7分を超える「ママ・アイ・ガッタ・ブランド・ニュー・シング」を含む。いずれもドラム、キーボードが活躍し、マイケル・ジャクソンとジャーメイン・ジャクソン以外の3人もコーラスの貢献が大きい。「ドント・セイ・グッド・バイ・アゲイン」「時を戻して」はマイケル・ジャクソンのソロ、ほか4曲はマイケル・ジャクソンとジャーメイン・ジャクソンのダブルボーカル。「リフレクションズ」はシュープリームス、「ユー・ニード・ラヴ・ライク・アイ・ドゥ」はグラディス・ナイト&ザ・ピップスの曲。
1974年。ファンク、ディスコのサウンドに傾倒し、声が低くなったマイケル・ジャクソンに合わせたメロディーになっている。7分半あるオープニング曲の「アイ・アム・ラヴ」は前半と後半で曲調が変わる。2曲目以降はホーンセクション、キーボードを効果的に使ったファンク、ソウルで、60年代型のポップスから完全に脱却した。有名アーティストのカバーが1曲もない。「ホワット・ユー・ドント・ノウ」はライトハウスの「ある晴れた朝」に近いブラスロック。「イフ・アイ・ドント・ラヴ・ユー・ジス・ウェイ」「イット・オール・ビギンズ・アンド・エンズ・ウィズ・ラヴ」はバラード。
1975年。前作に続きオープニング曲が最も長い曲。ディスコ路線をさらに推し進めている。マイケル・ジャクソンが目立つ曲はなくなりつつある。「エスパシャリー・フォー・ミー」「ハニー・ラヴ」はコーラスアレンジもいい。「ボディ・ランゲージ」は途中にエドウィン・スターの「黒い戦争」のフレーズを入れている。「君のことばかり」はスタイリスティックスの「ユー・アー・エヴリシング」に似た曲調。
1975年。10代最後のソロアルバム。同時期のジャクソン・ファイヴのアルバムに比べ、ソウル、ポップスの感触を残している。半数以上の曲はデビュー当初の作曲家やホランド・ドジャー・ホランドのホランドが関わっている。ファンク、ディスコ、フィラデルフィア・ソウルが流行していた時期に出たアルバムとしては、古風すぎた。アイドル的人気を得た歌手は、アイドルから大人の歌手に転換する直前にヒット曲が少なくなるが、この時期のマイケル・ジャクソンはそうした時期に当たっている。
1976年。「スカイライター」から「ムーヴィング・ヴァイオレーション」のころの未発表曲集。特に「スカイライター」「ゲット・イット・トゥゲザー」のころが多く、アップテンポでコーラスの厚い曲が多い。「プライド・アンド・ジョイ」はマーヴィン・ゲイの曲。「メイク・トゥナイト・オール・マイン」は70年前後のヒット曲の面影がある。
1976年。邦題「僕はゴキゲン」。ジャクソン・ファイヴから最年長のジャーメイン・ジャクソンが抜け、最年少のランディ・ジャクソンが加入。ザ・ジャクソンズと名前を変え、レコード会社もモータウンからエピックに変わっている。10曲のうち5曲は、この当時流行していたフィラデルフィア・ソウルの牽引者だったギャンブル&ハーフが作曲している。ジャクソン・ファイヴからジャクソンズへの変化で最も重要なのはマイケル・ジャクソンが作曲し、収録されるようになったことだろう。単独で作曲した「ブルーズ・アウェイ」は控えめなソウル。「スタイル・オブ・ライフ」はボーカルにジェイムス・ブラウンの影響がある。ギャンブル&ハーフがプロデュースしているのでサウンドはストリングス、ホーンセクションを駆使しているが、一般的なフィラデルフィア・ソウルよりもパーカッションが多く、曲も跳ねている。ジャッキー・ジャクソンが4曲でリードボーカルを取るのも大きな変化のひとつ。
1977年。邦題「青春のハイウェイ」。バラードの「神に祈った2人の恋」、ミドルテンポの「平和を願おう」以外の7曲はマイケル・ジャクソンがリードボーカルを取る。「僕らのミュージック」から「涙のレイディ」までアップテンポに進む。前作と同様、2曲がザクソンズの作曲。
1978年。邦題「今夜はブギーナイト」。8曲のうち4曲をジャクソンズ、3曲をランディ・ジャクソンとマイケル・ジャクソンの共作とし、全曲をジャクソンズがプロデュースしている。アルバム制作の主導権がレコード会社からメンバーに移ったという点で重要。曲調もバラードかディスコまで揃えており、「シェイク・ユア・ボディ」がヒットしたことも大きい。マイケル・ジャクソンが全曲でリードボーカルを取り、他の4人はコーラスとなった。ディスコ全盛期のアルバムだが、ビー・ジーズやドナ・サマーに比べるとマイケル・ジャクソンのボーカルは多分にリズム主体で、流れるようなメロディーを歌うことは少ない。裏ジャケットのクジャクとマイケル・ジャクソン、ジャッキー・ジャクソンのメッセージは、音楽に対するジャクソンズの考え方を主張しており、アーティストとして自覚的になっていることを伝える。
1979年。未発表曲等を集めた企画盤。英語の解説ではマイケル・ジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」もしくは「今夜はドント・ストップ」のヒットを受けて出された企画盤としているが、それよりも前に出ている。スティービー・ワンダーをカバーした「愛するあの娘に」はマイケル・ジャクソンのボーカルが出色だ。「ABC」「さよならは言わないで」「ダンシング・マシーン」はリミックスバージョン。ボーナストラックの「ハム・アロング・アンド・ダンス」は「ゲット・イット・トゥゲザー」収録曲より7分程度長い15分。フェードアウトせずに演奏が止まるまで収録しており、ギター、ベース、ドラムの即興演奏が続く。
1979年。マイケル・ジャクソンが作詞、作曲を行い、主体的に関わった初のソロアルバム。ホーンセクション、パーカッション、ストリングス等は有能なミュージシャンが集められており、これまでのソロアルバム、ジャクソンズのアルバムと比べても安定感のある引き締まった演奏だ。マイケル・ジャクソンが単独で作曲しているのは「今夜はドント・ストップ」「ワーキン・デイ・アンド・ナイト」の2曲で、パーカッションが。「ゲット・オン・ザ・フロアー」はマイケル・ジャクソンとベース奏者が共作しているのでベースが目立つ。「ガールフレンド」はポール・マッカートニーが作曲したウィングスの曲、「アイ・キャント・ヘルプ・イット」はスティービー・ワンダー、「それが恋だから」はキャロル・ベイヤー・セイガーとデヴィッド・フォスターの共作。アフリカ系ファンクバンド、ヒートウェイヴのキーボード奏者ロッド・テンパートンがタイトル曲を含め3曲を単独で作曲し、「ロック・ウィズ・ユー」は全米1位となっている。マイケル・ジャクソンとロッド・テンパートンの曲はA面に集められ、ファンク調の快活な印象を形成している。B面は有名アーティストの作曲を並べ、最後をロッド・テンパートンの曲として統一感を持たせる。プロデューサーのクインシー・ジョーンズの力は大きいだろうが、マイケル・ジャクソンとロッド・テンパートンの曲のよさ、マイケル・ジャクソンのボーカルの特徴に合ったリズム主体の曲と相乗効果を生み出しているのも事実だろう。
1980年。全曲をジャクソンズが作曲、プロデュースしている。「エブリバディ」のみメンバー以外の共作者が含まれている。「ワンダリング・フー」以外はマイケル・ジャクソンがリードボーカルを取る。「ハートブレイク・ホテル」はエルヴィス・プレスリーの同名曲と紛らわしいため後に「ジス・プレイス・ホテル」と変更されている。マイケル・ジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」を継承した点がいくつかみられ、A面にアップテンポの曲を置き、B面にバラード、ミドルテンポを置いている。「オフ・ザ・ウォール」風のホーンセクションとストリングスも使われている。パーカッションが目立たなくなり、シンセサイザーが使われるようになった。ファンクの華やかさや高揚感はマイケル・ジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」が上回るが、それと比べるのは酷か。
1981年。邦題「ザ・ベスト・ライブ」。ライブ盤。2枚組。メドレーを含めて14曲のうち「オフ・ザ・ウォール」「ベンのテーマ」「あの娘が消えた」「ガット・トゥ・ビー・ゼア」「ロック・ウィズ・ユー」「ワーキン・デイ・アンド・ナイト」「今夜はドント・ストップ」はマイケル・ジャクソンのソロアルバムの曲。ジャクソンズの曲は「デスティニー」「トライアンフ」から6曲選ばれ、「僕はゴキゲン」「青春のハイウェイ」からは選ばれていない。1日のライブからヒット曲を含めて66分も収録されていることは、ライブが安定していたことを示している。モータウン時代の曲とマイケル・ジャクソンのソロがジャクソンズの曲よりも多く、マイケル・ジャクソンの貢献度が大きい。「あおの娘が消えた」ではマイケル・ジャクソンが客席に降りたとみられるMCがある。「ワーキン・デイ・アンド・ナイト」でパーカッションのソロを取るのはランディ・ジャクソンか。日本盤のボーナストラックは蛇足だ。
1982年。前作の「オフ・ザ・ウォール」に続き、クインシー・ジョーンズがプロデューサーとなった。ジャクソン・ファイヴの1969年のデビューアルバム「帰ってほしいの」が70年代、すなわち次の新しい10年を牽引するアーティストを告知したのと同じように、「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」もマイケル・ジャクソンが80年代を牽引していくことを告げるアルバムとなった。「オフ・ザ・ウォール」で作曲に関わったロッド・テンパートンが再び3曲を単独で作曲し、タイトル曲も書いている。「ガール・イズ・マイン」はポール・マッカートニーが共作し、ボーカルにも参加している。「今夜はビート・イット」のギターはエディ・ヴァン・ヘイレン。多くの曲でTOTOのメンバーが演奏に参加する。このアルバムは映像(ショートフィルム)が画期的なことでも知られ、曲の映像をプロモーションビデオ(宣伝用)からフィルム(映画作品)のレベルに高めた。それらの映像が81年に始まったMTVによって繰り返し放映された。ライブでもムーンウォークと高度なダンスを披露し、音楽の視覚芸術化を大きく進めた。聴く音楽から見る音楽への変化を察知し、高度な映像作品や舞台演出を作り上げた能力は賞賛に値する。このアルバムはポピュラー音楽として世界最大のヒット作となっているが、そのヒットの要因は、音楽、映像の両面で質が高いということよりも、質が高い(またはかっこいい)と認識させる要素を多数揃えたことにある。それは「オフ・ザ・ウォール」の体制の継承、参加アーティストの名声、映像の芸術性などであり、そこにマイケル・ジャクソンが築き上げた歌手としての才能、既に実績を上げているアーティストであるという安心感が加わる。さらに、彼がアフリカ系である、すなわち一般の聞き手にとって、アフリカ系は音楽的、肉体的才能に優れているという人種差別が存在することも重要だ。この差別意識が後のマイケル・ジャクソンを悩ませるのは想像に難くない。視覚的に高度なものを追求することは、思想や精神といった内面的な成熟と逆方向であり、評価の支配層たる白人男性は、視覚、肉体的要素に高い評価を与えにくい。白人男性が欲しがるのはその背後の思想だ。「ビリー・ジーン」「スタート・サムシング」「ヒューマン・ネイチャー」収録。
1984年。ジャーメイン・ジャクソンが加入し6人編成。曲ごとに作曲者とプロデューサーが異なり、それぞれ個別に表記されている。6人になったこととは裏腹に、統括する人物がいないことを明らかにしている。8曲のうち「ザ・ハート」以外はメンバー同士の共作がなく、4曲はメンバーが作った曲を自らリードボーカルも取っている。メンバーが曲を持ち寄ってアルバムを作るという手法は当然あるだろうが、プロデュースまで作曲者が行い、他のメンバーの関わりが小さいのは、グループで活動する意味に疑問を生じさせる。ドラムマシーンを使い、シンセサイザーも多用するため80年代風のサウンドと言えるが、ジャクソンズであればこそ別のサウンドを作ることもできたのではないか。できなかった理由が共同作業の少なさだとすれば不幸なことだ。「ウェイト」はデヴィッド・ペイチが作曲、プロデュースし、ほぼTOTOによる演奏。「ザ・ハート」もデヴィッド・ペイチとスティーヴ・ポーカロが作曲し、演奏もする。「ステイト・オブ・ショック」はローリング・ストーンズのミック・ジャガーが参加し、マイケル・ジャクソンとともにリードボーカルを取る。
1987年。クインシー・ジョーンズがプロデューサーであることは変わらないが、ホーンセクションが少なくなり、ストリングスはなくなっている。シンセサイザーとプログラミングが大幅に増え、「アナザー・パート・オブ・ミー」「マン・イン・ザ・ミラー」ではドラムも使わない。「オフ・ザ・ウォール」からこのアルバムまでの変化は、多人数が楽器を演奏する従来型のファンクから機械を操作するポップスへの変化と言える。ベースもシンセサイザーで代用されており、「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」のみネイサン・イーストが弾いている。タイトル曲はジャズオルガンのジミー・スミスが参加。「ジャスト・グッド・フレンズ」はスティービー・ワンダーと共演。アナログ盤は10曲、CDは11曲収録されており、9曲もシングルになっている。「スムーズ・クリミナル」「ダーティ・ダイアナ」「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」収録。
1989年。マイケル・ジャクソンとマーロン・ジャクソンが抜け4人編成。タイトル曲にはその2人もボーカルで参加している。ジャーメイン・ジャクソンがメンバー以外と共作した曲を3曲提供、メンバー4人と共作者による曲が5曲あり、「ビクトリー」よりも一体感がある。マイケル・ジャクソンの「BAD」に似ているが、バンドサウンドに近い。リズムに傾倒しているマイケル・ジャクソンに比べれば、ソウル風で、メロディーを追いやすい。ただ、目新しさのないサウンドになり、マイケル・ジャクソンとの差を強調する形となった。
1991年。当時流行していたニュージャックスウィングの主導者、テディー・ライリーがプロデューサーを務めた。ニュージャックスウィングの影響がある曲はアルバム前半に多く、後半はポップス、ソウル、ゴスペルが多くなる。「ジャム」「キャント・レット・ハー・ゲット・アウェイ」「ブラック・オア・ホワイト」ではラップが入る。「ヒール・ザ・ワールド」や「キープ・ザ・フェイス」「ウィル・ユー・ビー・ゼア」のように、歌詞にメッセージを込めたような曲は聞き取りやすい歌い方をしている。「ヒール・ザ・ワールド」は「ウィ・アー・ザ・ワールド」の続編と呼べる。エレキギターを頻繁に使い、「ブラック・オア・ホワイト」のイントロ、「ギヴ・イン・トゥ・ミー」ではガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュが演奏している。「ウィル・ユー・ビー・ゼア」のイントロはベートーベンの交響曲第9番の第4楽章、通称「歓喜の歌」を引用。「ゴーン・トゥ・スーン」はディオンヌ・ワーウィックのカバー。
1995年。2枚組。1枚目は「オフ・ザ・ウォール」から「デンジャラス」までのベスト盤。2枚目は新曲による通常のアルバム。前作は、特にアルバムの後半は人間愛、博愛に満ちていたが、このアルバムでは全体がかなり自己中心的だ。「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」「ディス・タイム・アラウンド」「タブロイド・ジャンキー」などには、マイケル・ジャクソンの社会認識の未成熟が感じられる。社会が大多数の大衆とごく一部の上位層で構成され、この中で大衆向けメディアは上位層を監視し、上位から大衆レベルへ一時的に引き下げることによって大衆の精神的安定をもたらしているということを、マイケル・ジャクソンは認識できていない。このような認識は、ひとつひとつの事象を個別に理解していくのではなく、社会全体の成り立ちを抽象的に把握し、客観化した上で演繹的に導かなければならない。この能力を身につけるには、人格形成において最も重要な時期である10代から20代前半までに、勉学に努力を積まなければならない。マイケル・ジャクソンはその時期に音楽中心の生活をしていたため、能力を身につける機会を逃したまま、社会的地位だけが上位になってしまった。歌詞は抑制的ではなく修辞的でもなく、稚拙さは否めない。このアルバムから評価が下がっていく。ビートルズの「カム・トゥゲザー」をカバーしている。「スクリーム」はジャネット・ジャクソンと共演。「スマイル」はチャーリー・チャップリンの曲。カバー曲を除く13曲のうち、マイケル・ジャクソンが作曲に関わっていないのは「ユー・アー・ナット・アローン」だけだが、この曲が最大のヒットになっている。
1996年。ジャクソン・ファイヴのベスト盤。
2001年。「ヒストリー」の2枚目と同じテーマの曲が多いが、前作ほど攻撃的ではない。音楽的にも歌詞の内容も新しさはなく、マイケル・ジャクソンのアルバムでは意義づけを見出しにくい。16曲のうち14曲はマイケル・ジャクソンが作曲に関わっているにも関わらず、作曲していない2曲が両方ともシングルとなっている。「ユー・ロック・マイ・ワールド」収録。
2008年。ベスト盤。国や地域ごとにファン投票で選曲されているため、地域によって収録曲が異なる。地域ごとに30種類以上のバージョンがあるが、アメリカ、カナダでは発売されていない。日本盤は「ヒストリー」「インヴィンシブル」収録曲の人気が低い。マイケル・ジャクソンの生誕50年企画盤。
2009年。マイケル・ジャクソンのロンドン公演の記録映画を想定したアルバム。タイトル曲の「ディス・イズ・イット」以外はこれまでのヒット曲が収録されている。タイトル曲は「ユー・アー・ナット・アローン」に近い雰囲気で、地味だ。
2010年。マイケル・ジャクソンの死亡時に残っていた録音を、過去の共演者等が完成させた、マイケル・ジャクソンの意志によらないアルバム。アーティストの死後、未発表録音を使ってアルバムを作ることに拒否感のある人は多いだろう。録音時期も曲によって異なり、アルバムの統一感は見出しにくい。アルバムとしてではなく、未発表曲集として控えめに発表してもよかった。共演者がいる曲は、マイケル・ジャクソンの死後新たに参加したのではなく、生前に共演しているようだ。「(アイ・キャント・メイク・イット)アナザー・デイ」はレニー・クラヴィッツと共演、「ビハインド・ザ・マスク」はイエロー・マジック・オーケストラのカバーで、坂本龍一が作曲している。
2011年。カナダの舞台芸術集団シルクドソレイユの公演用に編曲されたマイケル・ジャクソンの曲集。
2014年。未発表、未完成曲を現代のプロデューサーが編集し、80年代から2000年代のサウンドに合わせた企画盤。完成版と編集前の原曲版が両方収録されている。完成版は出来がよく、過去のマイケル・ジャクソンのアルバムに入っていても違和感はあまりない。「ノー・プレイス・ウィズ・ノー・ネーム」はアメリカの「名前のない馬」のカバー。