1975年。邦題「宇宙への旅立ち」。サンタナのバックバンドによって結成された、やや展開の多いバンド。キーボード兼ボーカルのグレッグ・ローリーが主体。ベースのロス・ヴァロリーはスティーヴ・ミラー・バンドのメンバーだった。キーボードはオルガンとムーグが多い。歌よりも演奏を聞かせることに主眼があるような曲で、キーボードとギターのバトルや即興演奏風の部分が長い。「時の彼方へ」「コホーテク」収録。全米138位。
1976年。邦題「未来への招待状」。ギターが1人抜けて4人編成になった。B面の3曲が圧巻。「ミッドナイト・ドリーマー」のエインズレー・ダンバーのドラムはすごい。「アイム・ゴナ・リーブ・ユー」はカンサスの「伝承」を思わせる。全米100位。
1977年。初期3作の中で最もハード。アメリカン・プログレッシブ・ハードロックの観点からは、このころが最も充実している。長尺の曲がなくなり、コンパクトになった。ニール・ショーンが奔放にギターを弾いている。「スペースマン」収録。「ハスラー」はジャーニー史上でもハードな部類に入る。全米85位。この年、カンサスは「暗黒への曳航」で6位、スティクスは「大いなる幻影」で6位。
1978年。ボーカル専任でスティーブ・ペリーが加入し、5人編成に。グレッグ・ローリーとは違う高いキーの声。スティーブ・ペリーのボーカルはソウルやリズム&ブルースからの影響が感じられると言われるが、具体的に言えば、声や歌い方が60年代前半のサム・クックとほとんど同じだ。コーラスにも気を遣うようになり、「フィーリング・ザット・ウェイ」のようにダブル・ボーカルの曲もある。1曲だけ5分4秒の曲があり、それ以外は4分以下。ジャケットもここから芸術的センスを備える。イメージを大きく変えた分岐点のアルバム。「ライツ」「ウィンズ・オブ・マーチ」「ホイール・イン・ザ・スカイ」収録。全米21位、300万枚。
1979年。ドラムのエインズレー・ダンバーが抜け、モントローズのスティーブ・スミスが加入。「ラヴィン・タッチン・スクウィージン」「スウィート・アンド・シンプル」でスティーブ・ペリーのボーカルの黒さを感じる。前作に続きプロデューサーがロイ・トーマス・ベイカーなので、コーラスが出るたびにクイーン風の部分を探そうとしてしまう。ジャケットも前作と共通のモチーフ。「トゥー・レイト」収録。全米20位、300万枚。
1979年。ベスト盤。全米152位。
1980年。ダブル・ボーカルが3曲ある。前作を踏襲しつつポップ・センス全開。「お気に召すまま」が大ヒット。プロデューサーがケビン・エルソンに変わった。「ウォーク・ライク・ア・レディ」「グッド・モーニング・ガール」収録。全米8位、300万枚。
1980年。邦題「夢、夢のあと」。映画音楽。映画が「ファンタジー・ラブ・ロマンス」なのでポップな曲はない。インストが6曲。ボーカル入り3曲。悲しい、あるいは重苦しい曲調が続き、コーラスやアップテンポなリズムも皆無。映画はまったくヒットしなかった。全盛期のヒット・ナンバーのような音を期待すると厳しい。
1981年。ライブ盤。スティーブ・ペリー加入後の3作品から選曲されている。新曲2曲収録。ベスト選曲。全米9位、200万枚
1981年。ジャーニーの1度目の転機はスティーブ・ペリーの加入、2度目はジョナサン・ケインの加入だ。キーボードのグレッグ・ローリーが脱退しジョナサン・ケインに交代。オルガン、ムーグ主体のグレッグ・ローリーに比べて、ジョナサン・ケインは「翼を広げて」のようにピアノ主体でソフトだ。「ドント・ストップ・ビリーヴィン」「フーズ・クライング・ナウ」収録。「マザー・ファーザー」は屈指の名曲。カンサス、スティクス、フォリナー、トトより売れていなかったジャーニーが一気にトップに立った特大ヒット・アルバム。全米1位、900万枚。
1983年。キーボードがメロディーの主導権を握ると、ロックのハードさが後退しやすい。「セパレート・ウェイズ」「マイ・ラブ」「時への誓い」収録。全米2位、600万枚。83年はマイケル・ジャクソンの「スリラー」が2月から37週間1位となり、この影響で83年に発売されたアルバムはほとんどが全米1位を取れなかった。
1986年。ベースとドラムが抜け、3人になった。コーラスにもギターにもサウンドの整合感が優先され、アダルト・オリエンテッド・ロックのような気持ちよさはある。しかし、そうなるとギターやキーボードまでが、別にニール・ショーンやジョナサン・ケインでなくてもいいということになる。ここで、メンバーのメロディー・メーカーとしての存在意義が認められるようになる。「ガール・キャント・ヘルプ・イット」「トゥ・ユアセルフ」「アイル・ビー・オールライト」収録。全米4位、200万枚。
1988年。ベスト盤。全米10位、1000万枚。
1992年。分厚い解説とファミリー・ツリーが入ったボックス・セットの1枚目。「ディパーチャー」までの曲を収録。未発表曲は、スティーブ・ペリー加入前に録音された鬼気迫るインスト曲、ロバート・フライシュマンがボーカルの曲、スティーブ・ペリーのボーカルが入っていない「フィーリング・ザット・ウェイ」の初期バージョンと思われる曲、サム・クックのカバーの4曲。全米90位、50万枚。
1992年。2枚目。「ディパーチャー」から「エスケイプ」まで。未発表曲はないが、シングルのB面曲を1曲収録。
1992年。「フロンティアーズ」から「レイズド・オン・レイディオ」まで、といってもその2枚しかない。2枚目と違って3枚目は大量の未発表曲を含んでいる。「時の流れに」のB面の異バージョン、ジョナサン・ケインがボーカルの曲など7曲。インスト曲はいい。未発表ではなくても映画のサウンド・トラックが3曲あり、実際は収録曲の半分以上が珍しい音源。
1996年。「エスケイプ」のころのメンバーで録音。再結成ブームに乗ってリラックスしたアルバムを出した。1曲目に「セパレート・ウェイズ」のフレーズを再利用して全盛期のファンの心を安易につかむ。バラードも多く、無理しない作風。16曲75分超は長い。全米10位、100万枚。
1998年。2枚目のライブ盤。録音は1981年から83年まで。全米79位。
2000年。外部ソングライターを多数起用。ナイト・レンジャーのジャック・ブレイズも3曲関わっている。ボーカルがスティーヴ・オージェリーに交代、ドラムがディーン・カストロノボに交代。スティーブ・オージェリーはスティーブ・ペリーに似ている。前作に続きバラードの多いアルバム。全米56位。
2002年。4曲入りシングル。バックの演奏があまり目立たず、スティーヴ・オージェリーもやや迫力不足。スティーブ・ペリー時代に比べて見劣りするのは否めない。
2005年。メンバー全員がリード・ボーカルをとる。ギターのニール・ショーンがボーカルをとるときはギターが目立ち、同様にキーボードのジョナサン・ケインやベースのロス・ヴァロリーがボーカルをとるときもキーボード、ベースが目立つような曲になっている。80年代のジャーニーのサウンドを踏襲している。スティーブ・オージェリーは高い音程での声があまり出ないのが難点。
2008年。ボーカルがフィリピン出身のアーネル・ピネダに交代。ギターのニール・ショーンがユーチューブでアーネル・ピネダを発見して加入させたという話は、一般紙がニュースとして載せるほど現代性があった。アーネル・ピネダの声はかつてのスティーヴ・ペリーに似ており、すなわちアメリカ人が好意的に評価するアフリカ系ソウル歌手、サム・クックにも似ているということである。ニール・ショーン単独の作曲が1曲、キーボードのジョナサン・ケインの作曲が2曲、それ以外の曲はニール・ショーンとジョナサン・ケインの共作。「フェイス・イン・ザ・ハートランド」は前任ボーカルのスティーヴ・オージェリーが作曲に加わっている。オープニング曲から全盛時代のジャーニーのサウンドで、スティーヴ・ペリーが歌っているのかと錯覚するほどだ。「新たなる旅路」「チェンジ・フォー・ザ・ベター」「フェイス・イン・ザ・ハートランド」「失われた愛の導(しるべ)」は典型的なジャーニーの曲。「旅の行方」はインスト曲。過去の曲を現在のメンバーで再録音したスタジオ盤がついている。原曲に忠実で、特におもしろさはない。
2011年。ニール・ショーンのギターが前面に出てきている。多くの曲はニール・ショーンとジョナサン・ケインの作曲。アーネル・ピネダが2曲で作曲に参加している。キーボードが大仰に使われる曲は少ないので、ロックの力強さが感じられる。新しいファンを獲得しようとはしていないサウンドだが、安心できる曲で埋めているわけでもない。