1969年。邦題「平和の祈りをこめて~ライヴ・ピース・イン・トロント・1969」。ビートルズのジョン・レノンがビートルズ解散前に行ったプラスティック・オノ・バンドのライブ盤。ジョン・レノンはボーカル兼ギター、オノ・ヨーコはボーカル、エリック・クラプトンがギター、マンフレッド・マンのクラウス・フォアマンがベース、アラン・ホワイトがドラム。アラン・ホワイトは後にイエスに加入する。A面に6曲、B面に2曲入り、最初の3曲はロックンロールのカバー、「ヤー・ブルース」はビートルズの曲。「コールド・ターキー(冷たい七面鳥)」「平和を我等に」はプラスティック・オノ・バンドの曲。B面の2曲はオノ・ヨーコがボーカルをとる前衛的な曲。プラスティック・オノ・バンドの本領は未整理で即興的な「ジョン・ジョン(平和の願いを)」にあるだろう。「ドント・ウォリー・キョーコ(京子ちゃん心配しないで)」収録。日本盤は1970年発売。
1970年。邦題「ジョンの魂」。ビートルズ解散後に録音した最初のアルバム。エリック・クラプトンが抜け、ドラムはビートルズのリンゴ・スターが演奏している。ほぼトリオ編成での録音。「マザー(母)」で始まり「母の死」で終わる。その間に「しっかりジョン」「悟り」「ワーキング・クラス・ヒーロー(労働階級の英雄)」「孤独」「ラヴ(愛)」「ウェル・ウェル・ウェル」「ぼくを見て」「ゴッド(神)」が挟まれる。全曲がジョン・レノンの作詞作曲で、このタイトル群に誰もがジョン・レノンの心境を感じ取るだろう。バンド編成以外の「ワーキング・クラス・ヒーロー(労働階級の英雄)」「僕をみて」「母の死」は弾き語り。「孤独」のピアノはジョン・レノン、「ラヴ(愛)」のピアノはフィル・スペクター、「ゴッド(神)」のピアノはビリー・プレストン。日本盤は1971年発売。このアルバム発売後「パワー・トゥ・ザ・ピープル」をシングルで発売している。
1971年。ドラムにアラン・ホワイトが復帰し、ギターにビートルズのジョージ・ハリソン、キーボードにニッキー・ホプキンスが参加した。オノ・ヨーコはプロデューサーの一人となっている。タイトル曲は音楽を聞かない人でも知っているくらいの世界的有名曲。多くの曲にキーボードかピアノが使われ音が厚くなっている。これが逆にピアノとベースとドラムだけで演奏される「イマジン」の説得力を上げている。「真実が欲しい」のギターソロはいかにもジョージ・ハリソンという演奏。
1972年。前作とは異なるメンバーで録音し、参加人数も多い。オノ・ヨーコもボーカルで本格的に参加し「シスターズ・オー・シスターズ」「ボーン・イン・ア・プリズン」「血まみれの日曜日」「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」「アンジェラ」「ウィ・アー・オール・ウォーター」でボーカルをとる。「女は世界の奴隷か!」「アッティカ・ステート」「血まみれの日曜日」「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」「アンジェラ」など政治的、社会的歌詞が多い。「コールド・ターキー(冷たい七面鳥)」「ドント・ウォリー・キョーコ(京子ちゃん心配しないで)」はザ・プラスティック・オノ・スーパーグループによるライブ。デビュー盤のメンバーにジョージ・ハリソン、ザ・フーのキース・ムーン、ギターにデラニー&ボニー、オルガンにビリー・プレストン等、計13人。「ウェル(ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー)」から「オー」までははフランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェイジョンの演奏にジョン・レノンとオノ・ヨーコが参加したライブ。
1973年。邦題「ヌートピア宣言」。ドラム以外は全員が新しいメンバーで録音している。オノ・ヨーコは参加していない。スチールギター、キーボード、女性コーラスを多用し、曲の多くの部分で持続音が鳴っている。前作に比べれば政治、社会性が和らいで音楽面での安定感が上がっている。「あいすません」は「あいすみません」のつづり間違い。「あいすいません、ヨーコさん」と歌われる。「ワン・デイ」のサックスはブレッカー・ブラザーズのマイケル・ブレッカー。「ブリング・オン・ザ・ルーシー」は政治的な歌詞だがサウンドはポップだ。「ヌートピアン・インターナショナル・アンセム(ヌートピア国際讃歌)」は6秒の無音。日本盤は1974年発売。
1974年。邦題「心の壁、愛の橋」。ホーンセクションとパーカッションを活用するが、ソウル風やファンク風になるわけではなく、同じくらいにストリングスも使われている。バンド部分はベースがクラウス・フォアマン、ドラムがジム・ケルトナー、キーボードがニッキー・ホプキンス。「真夜中を突っ走れ」はエルトン・ジョンがボーカルとピアノで参加する。「ヤ・ヤ」はジュリアン・レノンがドラムで参加し親子協演している。
1975年。1950年代から60年代前半のロックンロールのカバー集。ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」、ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」、ファッツ・ドミノの「エイント・ザット・ア・シェイム」、ボビー・フリーマンの「踊ろよベイビー」、チャック・ベリーの「スウィート・リトル・シックスティーン」、バディ・ホリーの「ペギー・スー」等をカバーしている。13曲のうち4曲はフィル・スペクターがプロデュース、9曲はジョン・レノンがプロデュースしている。フィル・スペクターがプロデュースした曲はスティーヴ・クロッパー、レオン・ラッセル、ハル・ブレイン等が録音、ジョン・レノンがプロデュースした曲は「心の壁、愛の橋」の録音メンバーで録音している。
1975年。邦題「ジョン・レノンの軌跡(シェイヴド・フィッシュ)」。ベスト盤。アルバム未収録のシングル「インスタント・カーマ」「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を収録。このアルバムから「ダブル・ファンタジー」まで5年間活動を休止した。最大の理由はこの年生まれたショーン・レノンの育児。アップルレコードから出た最後のアルバム。
1980年。14曲のうち7曲がジョン・レノン、7曲がオノ・ヨーコの作曲。ジョン・レノンが作曲した曲はジョン・レノンが歌い、オノ・ヨーコが作曲した曲はオノ・ヨーコが歌うことが多い。オノ・ヨーコの「アイム・ムーヴィング・オン」「男は誰もが」は2人で歌っている。オノ・ヨーコは「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」と変わらない高い声で歌う。声は安定しているとは言えないが、バックのキーボードや短く切ったギターがニューウェーブのサウンドになっており、演奏の方が注目できる。ギターやホーンセクションを活用するジョン・レノンとは対照的で、ジョン・レノンはこのアルバム発売の2カ月後、日本盤発売の3日後に死去。このアルバムの最後の曲は「ハード・タイムス・アー・オーヴァー」。1981年に出たシングルの「ウーマン」はジョン・レノン死去後最初に出たレコードとなった。
1982年。ベスト盤。2枚組。ジョン・レノンの死去後最初のベスト盤。
1984年。「ダブル・ファンタジー」のころに録音され、収録されずに残っていた曲から選んだアルバム。ジョン・レノンが完成させたアルバムではないため、「グロウ・オールド・ウィズ・ミー」は未完成の感じが残るが、他の曲は遜色ない。「ダブル・ファンタジー」と異なる点は、ジョン・レノンのギターが短く切って演奏される曲が多いところであり、80年代の主流の音になっているところだ。オノ・ヨーコは12曲のうち6曲を作曲。「ユア・ハンズ」は日本語で歌われる。「ドント・ビー・スケアード」はレゲエのリズム。2001年の再発売盤から、ジョン・レノンの死去当日のインタビューが22分弱、ボーナストラックとして収録されている。
1986年。ライブ盤。1972年のライブ。
1997年。ベスト盤。「マザー(母)」のシングル・バージョンを収録。
2005年。邦題「決定盤ジョン・レノン~ワーキング・クラス・ヒーロー」。ベスト盤。2枚組。
2010年。邦題「ザ・ヒッツ~パワー・トゥ・ザ・ピープル」。CDとDVDの2枚組。DVDはCD収録曲のビデオを収録。