1966年。邦題「テイクス・オフ」。ギター2人、男女ボーカルの6人編成。ボーカルのマーティー・バリンが作曲。バーズを思わせるフォーク・ロックで、ボーカルをとれるメンバーが3人いる。同時期にアメリカ、西海岸で活躍していたバーズやビーチ・ボーイズほどコーラスに凝らず、それぞれの個性に頼っている。11曲のうちカバーが3曲。日本では1972年発売。全米128位。
1967年。ドラムとボーカルの女性が交代。女声ボーカルはグレース・スリック。「あなただけを」が世界的にヒットし、出世作となった。ジミ・ヘンドリクス、ジャニス・ジョプリン、ドアーズの登場、ビートルズの「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」などとともに、世界のロックが変革期であることを示したアルバムのひとつとされる。サイケデリック・ロックだと言われるが、日本では麻薬の取り締まりが厳しいので、実際の魅力は分かりにくい。しかし、同時代の他のアーティストと比べるとポップさが控えめで、感覚の新しさを伴うアートロックの一種とも考えられる。このアルバムで日本デビュー。「おかしな車」「ホワイト・ラビット」収録。全米3位。「あなただけを」は5位、「ホワイト・ラビット」は8位。
1967年。邦題「ヒッピーの主張」、のちに「アフター・ベイジング・アット・バクスターズ」。5曲すべてが2部構成または3部構成。1曲が平均8分あり、即興演奏までは行かない程度の自由なアンサンブルを聞かせる。全米17位。「サイケデリック・プーネイル」は42位、「ウォッチ・ハー・ライド」は61位。
1968年。邦題「創造の極致」。前作のサウンドで、曲を個別に11曲収録。このバンドがドアーズとともにサイケデリック・ブームの中心的バンドだったので、そうした聞き方をしてしまうのかもしれないが、「プーネイル・コーナーの家」はとてもサイケデリックなサウンド。前作のオープニング曲は「サイケデリック・プーネイル」というタイトルだった。このアルバムではエンディング曲になっている。ジャケットのきのこ雲は広島に原爆が落とされたときの写真だという。「忠臣蔵」はインスト曲で、東洋的なサウンド。全米6位。「グリージー・ハート」は98位、「創造の極致」は64位。
1969年。邦題「フィルモアのジェファーソン・エアプレイン」。ライブ盤。録音時期は不明。クリームと同じく、即興に任される部分が目立つ。もともと、スタジオ録音どおりに演奏されることも期待されていないと思われる。全米17位。
1969年。他のアルバムに比べ、直接的な表現の主張が多く、ゆえにメッセージ性の強いアルバムだと評価されている。オープニング曲の「ウィ・キャン・ビー・トゥゲザー」とエンディング曲の「ヴォランティアーズ」は社会を変革しようと歌われる。クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングのデイビッド・クロスビーとスティーブン・スティルス、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシア、ニッキー・ホプキンスが参加。「ヘイ・フレドリック」や「ザ・ファーム」など、印象的なメロディーや演奏はゲスト・ミュージシャンであることが多い。アルバムの性格と音楽上の興味がうまく混交されている。「メドウランド」は「ポーリシュカ・ポーレ」のメロディーの一部をキーボードで弾いているインスト曲。全米13位。「ヴォランティアーズ」は65位。
1970年。邦題「造反の美学」。日本ではジェファーソン・エアプレインのギター兼ボーカル、ポール・カントナーとボーカルのグレース・スリックによるプロジェクトとして認識され、アメリカではジェファーソン・スターシップのデビュー盤とされているアルバム。ポール・カントナーのSFに基づく歌詞で、最後の曲のタイトルは「スターシップ」。その前の曲は離陸の効果音。10曲のうち4曲は1分台、1曲は36秒、その他の曲は3分、4分、6分、7分、8分と長い。グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシア、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングのデビッド・クロスビー、グラハム・ナッシュ、クイックシルバー・メッセンジャー・サービスのデビッド・フライバーグが参加。ジェファーソン・エアプレインのメンバーも3人参加しているが、マーティー・バリンは参加していない。曲はスターシップに関する物語になっており、おおむねジェファーソン・エアプレインの路線。フォークのカバーが1曲ある。全米20位。
1971年。ベスト盤。全米12位。
1971年。ボーカルのマーティー・バリンが抜け、ドラムが交代。5人編成。ベース以外の4人が共同でボーカルをとっている。このころ、リードギターとベースがジェファーソン・エアプレインとは別のバンド、ホット・ツナを結成していたが、新たに加入したドラムはホット・ツナのメンバー。そのバンドのバイオリン奏者も3曲で参加している。「野生の七面鳥」ではギターとバイオリンがヘビーメタル並みの金属的響きで耳をつんざく。「革命の日」は舞台が1975年になっている。「疲れているならドイツ人とは議論をするな~又はヨーロッパの歌」はドイツ語で歌われる。全米11位。「美しさは君の心の中に」は60位。
1971年。ポール・カントナーとグレイス・スリックのプロジェクト。子ども、母、幼少期といったテーマの曲が占める。ジャケットはポール・カントナーとグレイス・スリックの子ども。
1972年。ドラムが交代。バイオリン奏者は正式メンバー並みに活躍。「ミルク・トレイン」はメーンのメロディー楽器となっている。グレース・スリックがこれまでのアルバムの中で最もハードに歌っている。有名女声ボーカルでこれだけ激しく歌うのはジャニス・ジョプリン以来ではないか。全米20位。
1973年。ライブ盤。男性の専任ボーカルとバイオリンが加入し7人編成。「創造の極致」収録曲が1曲、「バーク」収録曲が2曲、「ロング・ジョン・シルバー」収録曲が3曲、シングルのみの曲が1曲。代表曲の「あなただけを」は収録されていない。それぞれの曲は歓声でつながっているように聞こえるが、同一のライブを収録しているわけではない。このアルバムのあとジェファーソン・エアプレインは活動停止。全米52位。
1974年。1965年から1970年までのアルバム未収録曲集。全米110位。
1974年。ジェファーソン・エアプレインのグレース・スリックとリズムギターのポール・カントナーが中心となって結成されたバンド。ギター2人、キーボード、バイオリンを含む7人編成。ジェファーソン・エアプレインデビュー当時の男声ボーカル、マーティー・バリンもゲスト参加している。マーティン・バリンを含めた8人のうち6人はジェファーソン・エアプレインのメンバーだったことがある。「サーティ・セカンズ・オーヴァー・ウィンターランド」で専任ボーカルだったメンバーがキーボード中心の担当となったためメロディー楽器の数が多くなり、サウンドに厚みがある。初めて明確なメロトロンの音が聞き取れる。両面とも最後の曲は7分台。A面は編曲重視、B面はミドルテンポでメロディーを聞かせるような曲を集めて面の性格づけをしている。全米11位。「吠えろタイガー」は84位。
1975年。ベースが交代し、マーティー・バリンが正式に加入。8人編成。カンサスの初期3作に似た曲もあり、ジェファーソン・スターシップをアメリカン・プログレッシブ・ハードロックと見なす人もいる。「サンダルフォン」はカンサスの「ランプライト・シンフォニー」にも通じる。「未来の愛」もカンサス風だ。カンサスと異なるところは、8分や10分といった大作にせず、5分台以下に編曲する能力があったというところだ。全米1位、200万枚。「ミラクルズ」は3位、「愛を奏でよう」は49位。
1976年。バイオリンが抜け7人編成。「ソング・トゥ・ザ・サン」「スイッチブレイド」はシンセサイザーが活躍するカンサス路線の曲。全米3位。「ウィズ・ユア・ラヴ」は12位、「セント・チャールズ」は64位。
1976年。ジェファーソン・エアプレイン、ジェファーソン・スターシップ、ホット・ツナ、グレース・スリックのソロ・アルバムなどから選曲したジェファーソン・エアプレイン、ジェファーソン・スターシップ関係者のベスト盤。全米37位。
1978年。邦題「地球への愛にあふれて」。曲がややヒット性を帯びるようになった。ストリングスの音を用いているところもある。オープニング曲はヒット性とこれまでのアメリカン・プログレッシブ・ハードロック路線がうまく融合した曲。グレース・スリックの歌い方がワイルドになっているところは、ジェイムズ・ヤングがボーカルをとるスティクスの曲を想像させる。「スケイトボード」はそれが顕著だ。全米5位。「カウント・オン・ミー」は8位、「ランナウェイ」は12位、「クレイジー・フィーリン」は54位。
1979年。ベスト盤。全米20位。
1979年。邦題「フリーダム・ポイント・ゼロ」。ボーカルのマーティー・バリンとグレース・スリックが抜け、男声ボーカルが加入。ドラムが交代。6人編成。当時流行のアメリカン・プログレッシブ・ハードロックの影響を受けているのか、シンセサイザーやそれにに近いキーボードとコーラスをうまく使い、ポップなハードロックになった。新たに加入したボーカルは声のキーが高く、グレース・スリックの代役を十分にこなしながらコーラスで高音を担当する活躍。オープニング曲の「ジェーン」、8分超の「アウェイクニング」、「ジャスト・ザ・セイム」はアメリカン・プログレッシブ・ハードロックの名曲と言ってよい。全米10位。「ジェーン」は14位、「ガール・ウィズ・ザ・ハングリー・アイズ」は55位。
1981年。「ストレンジャー」でグレース・スリックが参加。アンサンブルのバリエーションが豊富なハードロック。ポップさとハードさがちょうどいい。全米26位。「ファインド・ユア・ウェイ・バック」は29位、「ストレンジャー」は48位。
1982年。邦題「奇蹟の風」。グレース・スリックが加入。7人編成。80年代ハードロックの典型とも言える。全米26位。「ビー・マイ・レディ」は28位、「奇蹟の風」は38位。
1983年。
1984年。ドラムが交代。徐々にアダルト・オリエンテッド・ロックに近づいているが、まだハードロックと呼べるサウンド。「コーナーストーン」直前のスティクスに近い。キーボードの音も古風さがなくなり、軽めになっている。全米28位。「ノー・ウェイ・アウト」は23位、「レイン・イット・オン・ザ・ライン」は66位。
1985年。邦題「フープラ」。ギターとキーボードが抜け5人編成。全米1位ヒットを2曲連続で出し、3度目の全盛期を迎えた。プロデューサーがキーボードを担当し、フォリナー、ジャーニー、ラヴァーボーイ等に続く80年代型ロックの代表的アルバムとなった。バーニー・トーピン、デニス・ランバート、マイケル・ボルトン等が作曲で参加し、メンバーが作曲しているのは9曲のうち1曲。「ロック・マイセルフ・トゥ・スリープ」はクワイエット・ライオットのケビン・ダブロウが参加。全米7位。「シスコはロック・シティ」は1位、「セーラ」は1位、「トゥモロー・ダズント・マター・トゥナイト」は26位、「ビフォア・アイ・ゴー」は68位。
1986年。ジェファーソン・エアプレインのボーカルのマーティー・バリン、ギターのポール・カントナー、ベースのジャック・キャサディが結成したバンド。ほかにキーボード、ギター、ドラム、サックスを加えた7人編成。キーボードを中心としたポップなロック。スターシップのサウンドにサックスが入ったような音。「イッツ・ノット・ユー、イッツ・ノット・ミー」はヴァン・ステファンソン作曲、「悲しみはいらない」はビリー・スクワイアのギター、ジーン・シャラフ作曲、最後の曲の「サヨナラ」はオフコースのカバー。
1987年。ベースが抜け4人編成。ベースとキーボードはプロデューサーの1人が演奏。ギターがほとんど登場せず、キーボード中心のポップなアダルト・オリエンテッド・ロック。ダイアン・ウォーレン、アルバート・ハモンド等が作曲で参加。「バビロン」はエアプレイのトミー・ファンダーバークが作曲に参加し、コーラスにも参加。全米12位。「愛は止まらない」は1位、「イッツ・ノット・オーヴァー」は9位、「ビート・パトロール」は46位。
1987年。ベスト盤。全米128位。
1989年。グレース・スリックが抜け、ベースとキーボードが加入。5人編成。ジェファーソン・エアプレイン時代のメンバーはいなくなった。かろうじてギターだけがジェファーソン・スターシップのオリジナル・メンバーで残っている。1曲ごとにプロデューサーが変わるような録音。前作に続きトミー・ファンダーバークが作曲とコーラスで参加。この手のサウンドを持つ若いアーティストやベテランのアーティストがたくさん出てきたため、個性が薄くなった。全米64位。「ワイルド・アゲイン」は73位、「イッツ・ノット・イナフ」は12位、「少しだけそばにいて」は75位。
1989年。「シュールリアリスティック・ピロー」から「ヴォランティアーズ」までの時代のメンバーのうち、ドラム以外の5人が結成。曲もほとんどがメンバーによる作曲。「トゥルー・ラヴ」だけがトトのスティーブ・ポーカロとデイビッド・ペイチによる作曲。全体のサウンドはスターシップと近いところがあり、サウンドや曲よりも60年代のメンバーが集まったこと自体が最大の話題となっている。全米85位。
1991年。邦題「10イヤーズ&チェンジ」。
1993年。3枚組ボックス・セット。
1998年。ベスト盤。
1999年。再結成アルバム。男女ボーカル、ギター2人、キーボードを含む6人編成。男声ボーカルはマーティー・バリン、ギターの1人はポール・カントナーで、ジェファーソン・スターシップのメンバーだったことがあるのはこの2人だけ。女声ボーカルはグレース・スリックに似た声で、80年代中期以降の低迷期のサウンドになっている。マーティー・バリンがアコースティック・ギターを弾くが、メーンのメロディー楽器としてではなく、バックで弾いているので、アコースティックな印象はない。この内容であれば、アルバム発表は10年に一度程度でよいのではないか。日本盤ボーナストラックはオフ・コースの「イエス・イエス・イエス」のカバー。英語で歌われるが、サウンドはスタジオ録音としてきちんと整えられた感じがしない。
1999年。ジェファーソン・エアプレイン、ジェファーソン・スターシップ、スターシップのベスト盤。2枚組。