1996年。日本ではナズと並ぶソロ・ヒップホップ・アーティスト。大都市で麻薬の密売人や売春のあっせんなどを行う人をハスラーと言うが、そうした生き方を題材にしたヒップホップの代表的アーティスト。ハスラーという言葉は外国語なので、その言葉を使うことによって本来の意味をあいまいにする効果をもっているが、本質的には犯罪者そのものである。ギャングスタ・ラップとは異なるが、一般洋楽ファンから見れば方向性に大差はない。ハスラーとしての生き方はあくまでも詩の題材であり、ファンタジーの世界である。仮に人生のある時点でそうした生き方をしていても、エンターテイメントの世界に入れば、そこからは空想の世界である。ギャングスタ・ラップの場合、ファッションはややカジュアルで肉体的だが、ハスラーを題材とするヒップホップは紳士的だ。ただ、ファッションはサウンドの善し悪しと直接関係がなく、詩の内容も多くのヒップホップ・ファンにとっては現実的でないので、このアルバムは当初売れなかった。ファッションと詩の内容はリンクしているが、それが評価されるようになるのは、それがスタイルとして定着した1、2年後である。サウンドはとりたてて目を引くところはない。ノトーリアスB.I.G.、メアリー・J・ブライジ、フォクシー・ブラウン等が参加。サンプリングはオハイオ・プレイヤーズ、フォー・トップス、スタイリスティックス、アイザック・ヘイズ等を使用。全米23位、100万枚。
1997年。サンプリングの元曲を大きく残しながら、比較的濁りの少ないシンセサイザーで編曲して音の風通しをよくしたサウンド。音そのもので雰囲気を不穏にしていない。バンドサウンドもあり、ドラムやピアノ、シンセサイザーがきれいに響く。パフ・ダディの影響が大きい。使っているサンプリングはグレン・フライ、オハイオ・プレイヤーズ、テンプテーションズ、オージェイズ、ナズ、アウトキャストなど。女性ボーカルの参加も多く、リル・キム、フォクシー・ブラウン等が参加。全米3位、100万枚。
1998年。ジェイ・Zのアルバムでは最も売れた。制作陣がまた変わり、スウィズ・ビーツ、ティンバランド、ジャーメイン・デュプリ、エリック・サーモン、DJプレミア等になっている。ティンバランドは前年にアリーヤの「ワン・イン・ア・ミリオン」が大ヒットしたので、サウンドも同様にチキチキ・サウンドとなっている。DMX、ジャ・ルール、フォクシー・ブラウン等が参加。全米1位、500万枚。
1999年。「イン・マイ・ライフVOL.1」から続くシリーズの3枚目。1枚目と2枚目はプロデューサーやサウンドがかなり変わっているが、2枚目と3枚目はそれほど変わっていない。自分の人生や過去のできごとを題材にしたシリーズはこのアルバムで終えるが、軸となる主張は「成功するには実行力が必要」ということだ。ジェイ・Zの言う成功とは金銭的成功である。日本人やヨーロッパ人はあからさまに金銭的成功を追求することを善としないが、アメリカ人は(歴史的経緯もあって)それほど抵抗はないようだ。したがって、そうした主張をすること自体は価値観の違いとしてとらえることができる。しかし、ジェイ・Zと、彼を支持するヒップホップ・ファンには、若い男性以外の価値観や状況に対する想像力が抜けている。ヒップホップには「ストリートの支持」というあいまいな概念がよく使われるが、この言葉が使われる文脈には、女性はまず想定されていない。ジャンルとしてのヒップホップ、特に男らしさを強調するようなギャングスタ・ラップには、多かれ少なかれそのような傾向があり、この点が「アフリカ系の誇り」を主張したファンクと異なるところだ。ジェイ・Zがヒップホップの世界で頂点に立つアーティストの1人であるというのは、称賛としても皮肉としても解釈できる。以上の点はこのアルバムのサウンドの評価には何も関係がなく、ヒップホップのアルバムとしてよくできている。「シングス・ザット・U・ドゥ」はマライア・キャリー、「イズ・ザット・ヨー・ビッチ」はトゥイスタ、ミッシー・エリオット、「スヌーピー・トラック」はジュヴナイルと共演。「ドゥ・イット・アゲイン」「エニシング」収録。全米1位、300万枚。
2000年。ジェイ・Zが結成しているグループ、ダイナスティのメンバーが全面的に参加している。16曲のうち、複数のアーティストが歌っているのが11曲。ジェイ・Zが歌わない曲もある。プロデューサーは大物が少なくなり、カニエ・ウェスト等が参加。「1-900-ハ・ス・ラー」はカニエ・ウェストのプロデュースではないが、レコードの回転を上げて使う手法はカニエ・ウェストそのものだ。スカーフェイス、スヌープ・ドッグ、R・ケリーが参加。全米1位、200万枚。
2001年。ジェイ・Zのアルバムの中では「リーズナブル・ダウト」とともに重要。「リーズナブル・ダウト」は犯罪を助長する生き方を題材にしたジャンルをつくったが、そもそも題材が反社会的であり、当初は広い支持を得られなかった。このアルバムは曲のサンプリングにソウルを取り入れ、元曲のサウンドを大きく残したサウンドが評価されている。ポイントは、自意識の強いファンクから距離を置き、ポップスに近いソウルに軸足を置いたことだ。これまでのヒップホップはサンプリングにファンクを多用していたが、自画自賛や開き直りともとれる歌詞を称賛しないファンもいた。特に学歴のある白人には、謙虚さや自己主張の抑制に美意識を見出す人が少なからずいる。ヒップホップのファンはアフリカ系だけにとどまらず白人にも広がっており、白人の多くはある程度評価の定まったソウル音楽も評価する傾向がある。ソウルの全面的な引用は、一度聞けばすぐに分かる分かりやすさがあるため、「リーズナブル・ダウト」よりも素早い評価があった。このアルバムは白人や高学歴のアフリカ系の支持を得たことが大きい。「テイクオーヴァー」はドアーズの「ファイヴ・トゥ・ワン」、「IZZO(H.O.V.A.)」はジャクソン5の「帰ってほしいの」をサンプリング。「レネゲイド」はエミネムと共演している。15曲のうちカニエ・ウェストが5曲をプロデュースしており、ソウルの大々的引用はカニエ・ウェストによるところが大きい。全米1位、200万枚。
2002年。「ザ・ブループリント」の続編。2枚組。25曲で109分。1枚目を「ザ・ギフト」、2枚目を「ザ・カース」としている。1枚目はやや明るめで華やか、2枚目は一般的なヒップホップ。ノトーリアスB.I.G.、ドクター・ドレー、トゥイスタ等のヒップホップ・アーティストのほか、レニー・クラヴィッツ、デスティニーズ・チャイルドのビヨンセ・ノウルズも参加している。「アイ・ディド・イット・マイ・ウエイ」はポール・アンカの「マイ・ウェイ」、「アズ・ワン」はアース・ウィンド&ファイアの「ファンタジー」をサンプリング。「ガンズ&ローゼズ」はロック・バンドのガンズ&ローゼズとは関係ない。全米1位、400万枚。
2003年。「ザ・ブループリント」の路線。サンプリングのサウンドをかなり残して曲を作っている。「12月4日」はシャイ・ライツ、「ホワット・モア・キャン・アイ・セイ」はMFSB、「アンコール」はレゲエ歌手のジョン・ホルト、「ジャスティファイ・マイ・サグ」はランDMCとマドンナをサンプリング。「ルシファー」でサンプリングされているマックス・ロメオはレゲエ歌手で、「アイ・チェイス・ザ・デビル」はザ・プロディジーが「アウト・オブ・スペース」で引用した曲と同じ。「ダート・オフ・ユア・ショルダー」は古風なシンセサイザーを使う。「99プロブレムズ」は80年代にヒップホップとスラッシュ・メタルをプロデュースしていたリック・ルービンが担当し、ハードロック風のサウンドになっている。「マウンテン」「ビリー・スクワイア」「アイス・T」「N.W.A.」をサンプリング。「インターリュード」が2曲入っているが同じ曲ではない。2度目に出てくる「インターリュード」はオルガンが70年代ロックを思わせる。2分50秒あるので、一般的な意味でのインターリュードではない。このアルバムで活動停止を宣言した。全米1位、300万枚。
2006年。一度引退して復活。その割には前作とあまり変わるところはない。「ハリウッド」はビヨンセ、「ビーチ・チェア」はコールドプレイのクリス・マーティン、「マイノリティ・レポート」はNe-Yoと共演。ビヨンセはジェイ・Zよりも目立つ。「オー・マイ・ゴッド」は女性ボーカルと共演しているように聞こえるがサンプリングした元曲に入っているボーカルだと思われる。全米1位、200万枚。
2007年。アルバムの発売と同時期に同じタイトルの映画が公開されているが、主題歌や挿入曲が入っているわけではなく、その映画に触発されて作ったアルバム。映画からサンプリングされているが、挿入曲ではなく語りのみ。アルバム全体としては「ザ・ブループリント」の路線。「ロック・ボーイズ(アンド・ザ・ウィナー・イズ)」や「セイ・ハロー」「アメリカン・ギャングスター」はサンプリングしていると言うよりも、元曲にラップを乗せている。「プレイ」「ロック・ボーイズ(アンド・ザ・ウィナー・イズ)」はビヨンセ、「サクセス」はナズと共演。ハモンド・オルガンだけで成り立っているような曲だ。「ハロー・ブルックリン2.0」はビースティ・ボーイズ、「アメリカン・ギャングスター」はカーティス・メイフィールドのサンプリング。全米1位、100万枚。
2009年。「ザ・ブループリント」「ザ・ブループリントII」の続編のように見えるが、サウンド上、特に大きな変化は見られない。「D.O.A.(デス・オブ・オートチューン)」はスティームの「ナ、ナ、ヘイ、ヘイ、キス・ヒム・グッバイ」、「オン・トゥ・ザ・ネクスト・ワン」じゃジャスティスの「D.A.N.C.E.」をサンプリング。「ラン・ディス・タウン」はジェイ・Z、カニエ・ウェスト、リアーナが共演する。「エンパイア・ステイト・オブ・マインド」はアリシア・キーズがボーカルを取るが、アリシア・キーズの歌唱力がジェイ・Zに勝っている。「ヤング・フォーエヴァー」はアルファビルの「フォーエヴァー・ヤング」をサンプリング。
2011年。ジェイ・Zとカニエ・ウェストの共作アルバム。2人とも作曲、ボーカルに関わっているが、ボーカルの量はジェイ・Zが多い。ラップに強いジェイ・Zとサウンド作りに強いカニエ・ウェストが共作しているので中身が充実しているのは当然だ。「リフト・オフ」はビヨンセが参加。「オーティス」はオーティス・レディングの「トライ・ア・リトル・テンダネス」をサンプリング。
2013年。これまでのアルバムがジェイ・Z自身に言及することが多かったのに対して、このアルバムは共同体としてのアフリカ系の歴史や苦難に言及することが多い。ブックレットの写真は多分に社会的だ。オープニング曲の「ホーリー・グレイル」は冒頭からジャスティン・ティンバーレイクが歌い、途中にニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」が入ることで印象が強くなる。有名曲のサンプリングはこの曲くらいで、他の曲は抑えめだ。書き言葉がほとんどのエミネムとは異なり、ジェイ・Zはその場の話し言葉を中心に詞を作るので、ファンクやソウル由来のリズムを合わせた感嘆符がたくさん出てくる。