1967年。ギター2人、ベース、ドラム、キーボードの5人編成。ボーカルはドラム以外の4人がとる。9曲のうち6曲は2分台、2曲が5分台、最後の「ヴァイオラ・リー・ブルース」は10分。2003年以降の再発盤は9曲のうち5曲が長いバージョンに差し替わっている。ブルース、ブルーグラスの影響があり、ロックンロールのバンドで演奏している。したがってブルース特有の粘着質なギターが多い。「ゴールデン・ロード」「コールド・レイン・アンド・スノー」は5人の共作、「クリーム・パフ・ウォー」はジェリー・ガルシアが単独で作曲。日本盤デラックス・エディションには23分の「ヴァイオラ・リー・ブルース」が収録されており、ジェリー・ガルシアの独壇場となっている。全米73位。
1968年。邦題「太陽の賛歌」。ドラムとプリペアードピアノが加入し7人編成。スタジオ録音した音とライブで録音した音を組み合わせて全体の音を作っている。プリペアードピアノのトム・コンスタンテンはテープも担当しているので現代音楽、とりわけプリペアードピアノの第一人者であるジョン・ケージの影響が大きいとみられる。ライブ音源、テープ、プリペアードピアノが混じったサウンドはスリルと生々しさがある。「アリゲーター」「コーション」はライブ音源をほぼそのまま使ったとみられる部分が明確に分かる。デラックス・エディション収録の「ボーン・クロス・アイド」(シングル・ヴァージョン)はアルバムバージョンより長い。全米87位。
1969年。オープニング曲の「セント・ステファン」のみジェリー・ガルシアとベースのフィル・レッシュが共作し、それ以外の7曲はジェリー・ガルシアが作曲。作詞は全曲が知人のロバート・ハンター。「ホワッツ・ビカム・オブ・ザ・ベイビー」の8分以外は5分台以下にまとめられており、曲調もブルースからは離れている。後期ビートルズのような、ポップさを残した実験性をグレイトフル・デッドもやってみたというようなサウンド。1971年にリミックスして出し直された。裏ジャケットには4歳の時のホールのコートニー・ラヴが写っているという。「セント・ステファン」「チャイナ・キャット・サンフラワー」収録。全米73位、50万枚。
1969年。ライブ盤。アナログ盤は2枚組。ライブでは1曲が長大になることを初めてレコードで示し、1曲目の「ダーク・スター」は23分、「ターン・オン・ユア・ラヴ・ライト」は15分ある。ギター2人とベース、キーボードがそれぞれ自由に演奏しているようでありながら、全体としてバランスやタイミング、アンサンブルがうまく保たれ、名人芸のような演奏が聴ける。全米64位、50万枚。
1970年。アコースティックギターを多用し、ボーカルハーモニーも強化しているのでフォークロック、カントリーロックに接近した。ボーカルハーモニーはデビュー当初から既にうまかったが、カントリーロックの特徴のひとつにボーカルハーモニーのよさがあったため、バンドの特徴とカントリーロックの特徴が一致した。「イージー・ウィンド」は従来のサウンド。ドラムも活躍する。ジェリー・ガルシアはペダルスチールギターも弾くが、「カンバーランド・ブルース」で聞こえるバンジョーもジェリー・ガルシアか。「ニュー・スピードウェイ・ブギ」は死者を出したローリング・ストーンズの公演、オルタモント・スピードウェイ・フリー・フェスティバルについて歌っているという。8曲全てが5分台以下で、長い曲はない。全米27位、100万枚。
1970年。キーボードが1人抜け6人編成。この当時流行していた、アメリカのルーツ音楽を取り込み、バーズやクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングがザ・バンドを演奏しているようなサウンドだ。ボーカルハーモニーがほとんど出てこないのは10曲のうち「フレンド・オブ・ザ・デヴィル」と「オペレイター」だけ。前作に続き聴きやすいサウンドでデビュー以来最大のヒットとなった。このアルバムからバンド名表記がグレートフル・デッドからグレイトフル・デッドになった。全米30位、200万枚。
1970年。ライブ盤。未CD化。民謡が1曲あり、他の4曲はすべてカバー。エルモア・ジェームスの「イット・ハーツ・ミー・トゥー」、マーサ&ヴァンデラスの「ダンシング・イン・ザ・ストリーツ」、ボブ・ディランの「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ、ベイビー・ブルー」、ウィルソン・ピケットの「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」をカバーしている。
1971年。ライブ盤。LPでは2枚組。ドラムが1人抜け5人編成。ジャニス・ジョプリンで有名な「ミー・アンド・ボビー・マギー」、チャック・ベリーの「ジョニー・ビー・グッド」、ジュディ・コリンズの「ミー・アンド・マイ・アンクル」をカバーしている。18分ある「ジ・アザー・ワン」の前半はドラムソロ。メンバーが作った4曲のうち3曲は新曲なので、ライブ盤としては特異な内容だ。全米25位、50万枚。
1972年。ライブ盤。CDでは2枚、LPでは3枚組。キーボードとボーカルが加入し7人編成。「グレイトフル・デッド」と異なり、多くの曲がこれまでスタジオ盤で発表した曲で構成されている。大手レコード会社のワーナー・ブラザーズから出たのはこのアルバムまで。全米24位、200万枚。
1973年。ライブ盤。全米60位。
1973年。邦題「新しい夜明け」。キーボードが1人抜け6人編成。バイオリンやペダルスチールギターが使われるので「アメリカン・ビューティ」を引き継ぐサウンドだが、キーボードがジャズ、ソウル風だ。オープニング曲の「ミシシッピー・ハーフ・ステップ・アップタウン・トゥードゥルー」はバイオリン、「レット・ミー・シング・ユア・ブルース・アウェイ」はサックスを使うカントリーロック。「ロウ・ジミー」「ステラ・ブルー」はキーボードが短く跳ねるようなのでジャズ寄りになる。「アイズ・オブ・ザ・ワールド」はギターもジャズ寄りだ。13分ある「ウェザー・リポート組曲」は3部構成で、ギターのボブ・ウィアーが中心になって作曲している。日本盤デラックス・エディションの「アイズ・オブ・ザ・ワールド」のライブは、CDでは珍しくハウリングが入っている。全米18位。
1974年。ベスト盤。「メキシカリ・ブルース」はギターのボブ・ウィアーのソロアルバムから選曲。全米75位。
1974年。前作に近いサウンドだが、曲調はブルースが多い。「アンブロークン・チェイン」はベースのフィル・レッシュがボーカルをとり、シンセサイザーとみられる背景音が入っている。シンセサイザーとペダルスチールギターはメンバー以外のゲストミュージシャンが演奏しており、メンバーはデビュー当時の伝統的な楽器演奏に戻ったとみられる。「プライド・オブ・キュカモンガ」はカントリー風の曲の途中でブルースになる。全米16位。
1975年。ドラムが復帰して2人になり、計7人編成。7曲のうち3曲は2部構成、3部構成。アルバム全体でローズピアノが使われ、ギターも軽めの音色になっている。オープニング曲の第2部「スリップノット!」から2曲目の「フランクリンズ・タワー」は切れ目なしに曲が続く。インスト曲の「キング・ソロモンズ・マーブルズ」はジャズ、フュージョン、「ミュージック・ネヴァー・ストップト」はソウル、「クレイジー・フィンガーズ」はレゲエと、ジャンルは幅が広い。3部構成のアルバムタイトル曲は計画的即興演奏のようなフュージョン風。全米12位。
1976年。邦題「凍てついた肖像」。ライブ盤。全米56位。
1977年。グレイトフル・デッドの独自レーベルから離れ、大手レコード会社のアリスタに移った。70年代後半から80年代に大量のヒット作を出すキース・オルセンがプロデュースしている。「テラピン・ステーション・パート1」は16分あり、マーサ&ヴァンデラスの「ダンシング・イン・ザ・ストリーツ」のカバーもあるため、カントリーロックになる以前のサイケデリックロック、ブルースロックのころの形式に戻った。女性ボーカル、女性コーラス、ストリングス、サックスを使い、曲もポップにしている。「テラピン・ステーション・パート1」はサイケデリックロックというよりは統制されたプログレッシブロックというサウンド。「パッセンジャー」「サンライズ」はヒット性もある。日本盤デラックス・エディションの「ダンシング・イン・ザ・ストリーツ」のライブは16分ある。全米28位、50万枚。
1978年。リトル・フィートのスライドギター、ローウェル・ジョージがプロデューサーとなっている。全曲が5分以下となり、グレイトフル・デッドのアルバムの中で最も曲が短い。オープニング曲の「グッド・ラヴィン」はヤング・ラスカルズのカバー。アルバムタイトル曲はディスコのサウンド。各曲にそれぞれ特徴はあるが、売れること以外の必然性は感じられない。全米41位、50万枚。
1980年。ボーカルとキーボードが抜け、キーボードが加入。6人編成。前作のような曲調。キーボードはオルガンが増えている。「イージー・トゥ・ラヴ・ユー」「ドント・イーズ・ミー・イン」はコーラスを使うポップなロック。「テラピン・ステーション」からこのアルバムまではサウンドも迷走しており、バンドの歴史全体では低迷期となっている。全米23位。
1981年。ライブ盤。2枚組。1980年のライブから。全米43位。
1981年。ライブ盤。2枚組。1980年のライブから。ライブ盤を企画したときに、候補が多すぎたので2枚組を2回にわけて発売した。「レコニング」と「デッド・セット」で重複する曲はない。全米29位。
1987年。スタジオ盤が7年も出なかったのは、70年代後半が低迷期だったことによる。ライブで既に演奏していた曲を中心に録音したため、全く新しい曲というわけではない。デビューから20年たち、70年前後に活動したアーティストが再評価されたことで注目された。オープニング曲の「タッチ・オブ・グレイ」はキーボード主体の曲。全米チャート上では最もヒットした曲となった。「ウェストL.A.フェイダウェイ」はボーカルを一部加工している。「トンズ・オブ・スティール」はブルース・スプリングスティーンのような曲。全米6位、200万枚。
1989年。9曲のうち4曲をキーボード奏者が作曲している。このうち「ジャスト・ア・リトル・ライト」はキーボード主体だが、「ブロウ・アウェイ」はギターとキーボードが両方活躍する。7分半の「ヴィクティム・オア・ザ・クライム」は久しぶりにギターの長い演奏がある。「アイ・ウィル・ユー・ホーム」は最後のスタジオ盤の最後の曲であることを予兆するようなピアノ曲。全米27位、50万枚。
1990年。ライブ盤。1995年にジェリー・ガルシアが死亡し、解散。このアルバムが最後となった。全米43位、50万枚。