1989年。ギター2人の5人編成。ギターの1人はバラライカの表記もついている。ソ連出身。歌詞は英語。80年代ハードロック・ブームの後半に、ゴルバチョフ大統領の政策で開放路線をとっていたソ連から出てきた。このバンドを米ソの友好の象徴としてあつらえたのがボン・ジョヴィの所属事務所だった。「ピース・イン・アワ・タイム」はボン・ジョヴィのジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラが作曲し、コーラスでも参加している。全体的なサウンドはアメリカのハードロック。オープニング曲の「バング」は1回聞けば覚えるすばらしいメロディー。「トライ・トゥ・ファインド・ミー」も世界レベル。「マイ・ジェネレーション」はザ・フーのカバー。途中でロシア語の歌詞とバラライカが出てくる。メロディーもロシア民謡風で日本人には郷愁を誘う。「アクション」はスウィートのカバーではない。ソ連の国旗は赤地に黄色で鎌とハンマーを描いているが、ジャケットはそれを模している。
1992年。邦題「ゴーリキー・パークII・モスコー・コーリング」。ボーカルが抜けベースがボーカルを兼任。サウンドがデフ・レパードに似ており、コーラスはほとんど同じだ。ドラムの音は80年代ハードロック。キーボードも柔軟に使用している。前作と同様、印象的なメロディーをたくさん乗せている。「ドント・プル・ザ・トリガー」はTOTOのスティーブ・ルカサーが参加。
1993年。薬物中毒、アルコール中毒等で死亡したアーティストの曲をハードロック・ヘビーメタルのバンドがカバーした企画盤。モスクワで同趣旨のライブをやっている。オープニング曲はゴーリキー・パークの「マイ・ジェネレーション」でアルバムとは異なるバージョン。スキッド・ロウがセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスの「さらばベルリンの陽」、スコーピオンズがザ・フーの「アイ・キャント・エクスプレイン」、オジー・オズボーンがジミ・ヘンドリクスの「紫のけむり」、モトリー・クルーがトミー・ボーリンの「ティーザー」、ボン・ジョヴィがシン・リジーの「ヤツらは町へ」、シンデレラがジャニス・ジョプリンの「ジャニスの祈り」をカバー。オジー・オズボーンのみ何の工夫もなく質が低い。モトリー・クルーは「ドクター・フィールグッド」のサウンドでやっている。