1991年。80年代型のハードロックバンドとしてはかなり遅いデビュー。同じ系統のバンドが次々と暗さやラフさといった流行を取り入れたことが逆にこのバンドの潔さを強調した。無論、曲がよかったというのが前提だ。とても覚えやすいメロディー。ボーカルがうまい。この時期の新人バンドとしては驚異的ヒットを記録。全米21位、200万枚。「ドント・トリート・ミー・バッド」は19位、「ラブ・オブ・ア・ライフタイム」は5位、「オール・シー・ロート」は58位。
1991年。「ラヴ・オブ・ア・ライフタイム」はアコースティック・バージョン。「オーヴァーナイト・センセーション」「オール・シー・ロート」「ホーム・イズ・ホエア・ザ・ハート・イズ」「ドント・ウォーク・アウェイ」は一続きになったライブ。
1992年。前作と同路線。全米23位。「リーチ・フォー・ザ・スカイ」は83位、「ホェン・アイ・ルック・イントゥ・ユア・アイズ」は8位、「スリーピング・ウィズ・ユー」は78位。
1995年。アコースティックギターを使う曲が多くなり、メロディーもやや抑揚が抑えられている。全米66位。「アイ・リブ・マイ・ライフ・フォー・ユー」は26位。
1996年。新曲3曲と過去のヒット曲7曲、イーグルスの「セブン・ブリッジス・ロード」のカバーをアコースティックギターで編曲。「ユー・アー・マイ・レリジョン」収録。
1999年。「3」の路線。ハードロックというよりは一般的なロックのサウンド。「ハブ・マーシー」はニルバーナの「スメルズ・ライク・ア・ティーン・スピリット」を思い出す。ほとんどの曲でアコースティックギターを使用。
1999年。日本公演のライブ。
2000年。ベースが交代。ややハードロックさを取り戻した。「ホールド・ユア・ファイア」と「3」の中間。このアルバムで人気が復活してもおかしくはない。「ザ・ダーク」はミクスチャー・ロック。「アイド・ラザー・ビー・メイキング・ラブ」は日本のFM局用の別バージョンがあるという。
2003年。ベースが交代。前作と同じだが、「3」以降、なにか一線を越えられないもどかしさがある。「ドア・トゥ・ドア」はヘビーズの「メタル・マラソン」を思い出す。