1967年。邦題「ハートに火をつけて」。ベースのいないバンド。ボーカルのジム・モリソンの歌詞とステージ・アクションに注目が集まったという。現体制に抗うというロックの態度からすれば、性衝動について大っぴらに書いたり行動したりしたという点で画期的だった。また、ロックの反体制性そのものの形成にも影響を与えた。ロサンゼルス出身だが、サンフランシスコを中心としたフラワー・ムーブメントの中心的存在。口に出すのがはばかられていた「fuck」という言葉はジム・モリソンによって若者に一般化されたという。
1967年。邦題「まぼろしの世界」。前作と同じく最後の曲は長く、意味もさまざまに解釈される歌詞になっている。
1968年。邦題「太陽を待ちながら」。レイ・マンザレクのキーボードがオルガン主体からピアノ等も含めたバリエーション豊かな音になってきた。「ハロー・アイ・ラブ・ユー」がヒット。ポップになったというが、コマーシャルになったということではなく、緊張感は残っている。この年、ジム・モリソンはステージ上で自分の性器を露出して警察に逮捕される。このとき、ジム・モリソンは「会場にいる全員が性器を露出していれば、自分は逮捕されなかっただろう」と言ったという。これは開き直ったということではなく、「狂気」とはその時々の世界の一般的な思想や常識によって決定される、ということを言っている。すなわち、今我々が「常識」だと考えていることは、今という世界の中でのみ有効な「常識」であって、時代や考え方が変われば、カギかっこ付きの「常識」はいつでも「非常識」に変わりうるということを示す。
1969年。ホーン・セクション、ストリングスを導入して音の幅を広げている。当時のグラス・ルーツのようなダンヒル・サウンドやカントリー・ロック化したバーズに影響されたのかとも感じられる。、「タッチ・ミー」は名曲。長い曲を再び最後に持ってきている。イギリスでプログレッシブ・ロックが本格化する以前の時代にあっては、フレーズをコラージュするというだけでも斬新ととらえなければならない。
1970年。アナログではA面が「ハード・ロック・カフェ」、B面が「モリソン・ホテル」と名付けられている。ブルースの影響を受けている。
1971年。初期に比べて全体に抑揚がないのはブルース色が濃くなったからというのもあるだろう。ストラングラーズが影響を受けたであろうサウンドもある。「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」は「ハートに火をつけて」に並ぶ名曲。ジム・モリソン最後のスタジオ盤。
1991年。伝記映画のサウンドトラック。ドアーズのアルバムとジム・モリソンの「アン・アメリカン・プレイヤー」を中心に選曲。ベルベットアンダーグラウンド&ニコの「ヘロイン」とカール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」導入部も収録。
1971年。ジム・モリソン以外の3人で作ったスタジオ盤。
1972年。最後のスタジオ盤。