1992年。ギター2人の5人組。オーソドックスで硬質なヘビーメタル、もしくはスラッシュ・メタルで、緩急や展開のある曲をやる。スラッシュ・メタルと呼ぶにはボーカル・メロディーがメロディアスで、個性は十分。ドリーム・シアターの「イメージズ・アンド・ワーズ」より先に出た。
1993年。前作と同路線。曲の展開が読みにくく、唐突に終わる曲もある。ドリーム・シアターほどの受け入れられやすいサウンドではない。ギターはリズムを刻むときには切れがよく、ソロを取るときには流麗だ。
1994年。邦題「蒼き悲壮」。2曲に「絶望の谷」「海神の咆哮」という日本語の題がつき、プログレッシブ・ロックとして認識してもらおうという意図が読みとれる。サウンドはヘビーメタルらしい硬さやハードさが控えめになり、展開よりも曲ごとの全体的な雰囲気や盛り上がりに重きを置いているかのようだ。この点をとらえてプログレッシブ・ロックに近くなったと判断した結果の邦題だろう。キーボードも若干使用。
1996年。ギターが1人抜け4人編成。オープニング曲でラップを使い、全体的なサウンドはオルタナティブ・ロックだ。このまま活動を続けていればいずれサウンドがハードになり、主流になることはあり得ないヘビーメタルの中にとどまることもなくラウド・ロックの先駆者となれたはずだ。「ガラクタの丘」はいわゆるインダストリアル・ロック。サウンドだけを見れば「スポーツ・イェール」はマリリン・マンソンと同じ。しかし、もともとヘビーメタル・バンドであるというイメージの呪縛はいかんともしがたかった。デビュー時のプログレッシブ・ヘビーメタルにしろ、ラウド・ロックにしろ、ブームが盛り上がる前にそのサウンドを提示してしまい、過去のバンド扱いされたのは悲劇だった。