1969年。バーズのデヴィッド・クロスビー、バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス、ホリーズのグラハム・ナッシュで結成。リードギター、ベース、オルガンをスティーブン・スティルス、リズムギターをデビッド・クロスビーが担当している。アコースティックギターを中心として、美しいコーラスを聞かせた。「組曲:青い眼のジュディ」「マラケシュ行急行」収録。
1970年。従来のメンバーにバッファロー・スプリングフィールドのニール・ヤングが加わり、4人編成に。高音ボーカルが増えたのでコーラスがまた美しく、緊張感が高くなった。特にA面の5曲はいずれも名曲で、アルバムは日本、アメリカで大ヒットした。日本ではその後のフォーク・グループに強い影響を与え、事実上このアルバムが各アーティストの手本になったようなところがあった。アメリカでは、シールズ&クロフツ、アメリカといった後継者が登場し、イーグルスをはじめとするウェスト・コースト・サウンドに影響を与えた。「キャリー・オン」「ティーチ・ユア・チルドレン」「カット・マイ・ヘア」「ヘルプレス」「ウッドストック」「僕達の家」収録。全米1位。
1971年。2枚のアルバムのほか、メンバーのソロ・アルバムからの曲も収録されたライブ盤。1枚目がアコースティックギターによる演奏、2枚目がエレキギターによる演奏。CD化に際してアコースティックギターによる演奏に4曲が追加収録されている。エレキギターによる演奏は「サザン・マン」と「キャリー・オン」が長尺。
1974年。邦題「華麗なる栄光の道」。ベスト盤。全米1位。
1977年。クロスビー・スティルス&ナッシュ名義で制作されたアルバム。
1980年。一部を再録音したベスト盤。
1982年。クロスビー・スティルス&ナッシュ名義で制作されたアルバム。キーボードを導入して当時のアダルト・オリエンテッド・ロックのようなモダンなサウンドになっている。アコースティックなギターとコーラスは変わらない。その点では納得できるが、緊張感は薄れた。時代背景が違うので、他のアーティストに対する独自性まで求めるのは困難か。個々の曲の質は高い。「デルタ」など、ギターの活躍がほとんどない曲もある。
1983年。「デイライト・アゲイン」のツアーのライブ盤。新曲2曲を含む。1曲は77年のライブ。
1988年。2枚目のスタジオ盤。ニール・ヤングがいるのといないのとではアルバムの印象が違う。演奏面ではスティーブン・スティルスがギターとキーボードで活躍。「ナイトタイム・フォー・ジェネラルズ」はクロスビー・スティルス、ナッシュ&ヤングで最も重いギターが聞かれるが、これはスティーブン・スティルスがジミ・ヘンドリクスを意識したとクレジットされている。「デイライト・アゲイン」をさらにコンテンポラリーにしたサウンド。キーボード主導の曲が多い。「ザット・ガール」はホーン・セクションも導入。
1990年。クロスビー・スティルス&ナッシュ名義で制作されたアルバム。
1994年。クロスビー・スティルス&ナッシュ名義で制作されたアルバム。「イン・マイ・ライフ」はビートルズのカバー。3人で共作した曲はなく、2人の共作が2曲、メンバーが単独で作曲した曲が9曲。アコースティック・ギターとコーラスを主体にしたサウンドは70年代と変わらない。当時ほどの緊張感はないが、コーラスには当時を思い起こさせる響きがあり、聞き手を安心させる。
1999年。コーラスが少なくなり、ますます個性が薄くなっていく。もはや各メンバーのソロ持ち寄り盤になって、アルバムのトータルな出来を意識するような作風ではない。
2014年。1974年に再結成したときのライブ盤。CD3枚に40曲収録。10曲収録のDVDもつく。クロスビー・スティルス&ナッシュの曲はもちろん、スティーヴン・スティルスやニール・ヤングのソロ曲も含む。4人のほか、ニール・ヤングのバンドのベース、ドラムのラス・カンケル、スティーヴン・スティルス・マナサスのパーカッションの7人で演奏する。1枚目、3枚目はエレキギター、2枚目はアコースティックギターによるバンド演奏。「ヘルプレス」「ティーチ・ユア・チルドレン」「シカゴ」などは歓声が大きい。「狂気の軍隊」は観客との掛け合いがある。ニール・ヤングは声の個性が際立つ。デヴィッド・クロスビーはやや不安定。各CD最後の「カット・マイ・ヘア」「組曲:青い眼のジュディ」「オハイオ」は代表曲だけに大歓声が沸く。「ウッドストック」「マラケシュ急行」「キャリー・オン」やニール・ヤングの「孤独の旅路」が入っていればさらに高揚感が増しただろう。