THE BYRDS

  • 1960年代アメリカの代表的なフォークロック・バンド。中心人物はギターのジム・マッギン、後のロジャー・マッギン。
  • 1965年の2枚はフォークロック、67年までの2枚はサイケデリックロック、「ロデオの恋人」以降はカントリーロック、アメリカンロックとなっている。
  • 60年代後半のロックを主導するバンドの1つで、アメリカのロックの歴史を形成したバンド。
  • 「ミスター・タンブリン・マン」「霧の5次元」「ロデオの恋人」は重要アルバムとされ、特に「ロデオの恋人」はフラワー・ムーブメント、ヒッピー文化を通過した(一部の)若者が、自国の文化に根ざした新しいポピュラー音楽として認識した。
  • メンバーは交代が多く、ロジャー・マッギンのほかデヴィッド・クロスビー、グラム・パーソンズ、クラレンス・ホワイトが有名。
  • 代表曲は「ミスター・タンブリン・マン」「ターン・ターン・ターン」「霧の8マイル」「ゴーイング・ノーホエア」など。

1
MR.TAMBOURINE MAN

1965年。5人編成。バーズは初期の2枚がフォーク・ロック、「霧の5次元」から「名うてのバード兄弟」までがサイケデリック・ロック、「ロデオの恋人」以降はカントリー・ロックで、常に時代と同時進行、または先駆者だった。12曲のうち、4曲がボブ・ディランの曲で、自作曲は6曲。アルバムタイトル曲も同じ年に出されたボブ・ディランの「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」収録の曲。それ以外の3曲は「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」の曲。演奏に参加しているのは12弦ギターのジム・マッギンだけで、他のメンバーは歌っているだけ。バックの演奏はハル・ブレインほかのゲスト・ミュージシャン。

2
TURN! TURN! TURN!

1965年。アルバムタイトル曲が2作連続で全米1位。「ターン・ターン・ターン」の詩は聖書の一節で、作曲はピート・シーガー。ボブ・ディランの曲は2曲で、自作曲が11曲中5曲。「友だちだった彼」の彼とは暗殺されたケネディ大統領。

3
FIFTH DIMENSION

1966年。邦題「霧の5次元」。ほとんどの曲が自作曲となりボブ・ディランの曲はなくなった。このアルバムをサイケデリックに影響されたと感じるかどうかは別にして(実際は予備知識なしに聞けば都合良くサイケデリックとは思われない)、音楽の方向がやや変わったというのは自然に感じることができる。2曲でストリングスが導入される。「霧の8マイル」は名曲。

4
YOUNGER THAN YESTERDAY

1967年。邦題「昨日より若く」。ジーン・クラークが抜け4人編成に。テープの逆回転が多い。曲は充実している。ボブ・ディランの「マイ・バック・ペイジズ」はオルガンの音が大きいバージョンの方がいい。クラレンス・ホワイトが2曲で参加。ホーン・セクションも導入。

THE BYRDS' GREATEST HITS

1967年。ベスト盤。

5
THE NOTORIOUS BYRD BROTHERS

1968年。邦題「名うてのバード兄弟」。前作にも増してホーンとストリングスが入っているが、ストリングスは明らかにフィドルの音で、カントリー風だ。「霧の5次元」のころのような曲もあり、カントリー・ロックへの過渡期の作品。キャロル・キング、ジェリー・ゴーフィンの曲が2曲、クラレンス・ホワイト参加が2曲。ムーグを使用している。

6
SWEETHEART OF RODEO

1969年。邦題「ロデオの恋人」。ギターのデヴィッド・クロスビーが脱退し、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングを結成、ドラムのマイク・クラークも抜け、新たにギターのグラム・パーソンズとドラムのケビン・ケリーが加入。マンドリン、バンジョー、スチール・ギターを大幅に導入し、サウンドは完全にカントリー寄りになった。カントリー、ブルーグラスを音楽的背景に持つグラム・パーソンズの影響力は大きい。ロジャー・マッギンとクリス・ヒルマンが作曲に関わった曲はなく、唯一「私は巡礼」の編曲に携わっただけ。「ゴーイング・ノーホエア」「ヒッコリー・ウィンド」「100年後の世界」収録。

7
DR.BYRD & MR.HYDE

1969年。邦題「バード博士とハイド氏」。グラム・パーソンズ、ケビン・ケリーが脱退し、クラレンス・ホワイト、ジョン・ヨーク、ジーン・パーソンズ加入。グラム・パーソンズがいなくなったので、ブルーグラス風味は抜けた。しかし、クラレンス・ホワイトが加入してカントリー風味は残している。ザ・バンドの「火の車」をカバー。「ロデオの恋人」はカントリー・ロックというよりはバンジョーやマンドリンが入った完全なカントリーで、実際はこのアルバムからカントリー・ロックが始まっていると言ってよい。

8
BALLAD OF EASY RIDER

1969年。邦題「イージー・ライダー」。バランスの取れたアルバム。前作と同路線。「ジーザス・イズ・ジャスト・オールライト」はドゥービー・ブラザーズがカバー。

9
UNTITLED

1970年。邦題「(タイトルのないアルバム)」。LPは2枚組で1枚目はライブ盤。2枚目はスタジオ盤。ライブ盤A面は「ターン・ターン・ターン」以外のヒット曲や名曲。B面は丸ごと「霧の8マイル」を16分にわたって演奏している。ベースはスキップ・バッティン。デビュー当時は楽器演奏できるメンバーが1人だけだったが、クラレンス・ホワイトの加入で一気にライブ可能なバンドになった。

10
BYRDMANIAX

1971年。女性コーラス、キーボードを使った同時代的な音。「ロデオの恋人」のような変化は認められるのに、このアルバムのような変化は当時認められなかった。ルーツに忠実で飾り気のないサウンドには、精神の純粋性が宿っているとでも思われていたのだろうか。実際のところ、メロディーは前作と同様で、ピアノやオルガンはこれまでのサウンドをよりよくするものではあっても壊すものではない。「グローリー・グローリー」は「イージー・ライダー」の「ジーザス・イズ・ジャスト・オールライト」の作者と同じ。「グリーン・アップル・クイック・ステップ」はブルーグラス。

11
FATHER ALONG

1972年。オープニング曲はローリング・ストーンズとチャック・ベリーを足したような曲。基本的には装飾を取り除いた「バードマニア」の路線。同じ年にイーグルスがデビューしてカントリー・ロックの主導権が引き継がれていった。

 
THE BEST OF THE BYRDS

1972年。「名うてのバード兄弟」から「ファーザー・アロング」までのベスト。

THE BYRDS/ORIGINAL THE BYRDS

1973年。初期のメンバーによる録音。

ORIGIN SINGLES 1965-1967

1980年。シングル集。

FRIGHT 1965-1990

1994年。ベスト。