1979年。邦題「ラジオ・スターの悲劇」。ティナ・チャールズのバックバンドにいたギター、ベース、キーボードが新グループとしてデモ・テープを制作し、アーティストとしてはトレバー・ホーンとジェフ・ダウンズの2人組となった。アルバムは6人でレコーディングしており、そのうちの1人は日本人。女性コーラスも2人。「ラジオ・スターの悲劇」は大ヒットし、テクノ・ポップのさきがけとなった。この曲は音楽専門番組MTVが開局して最初に流した曲として有名。
1981年。邦題「モダン・レコーディングの冒険」。バグルスの2人がそのままイエスのメンバーとなり、ボーカルとキーボードを担当。「ドラマ」を出したあとイエスは解散した。このアルバムは「ドラマ」のあとに制作された。このころすでにジャフ・ダウンズはエイジアを結成していた。「朱色の砂」は7分近くあり、キーボードの音色も古風。しかし、オーケストラヒットも多用している。「アイ・アム・ア・カメラ」はイエスの「レンズの中へ」の別バージョンに近い。
1972年。ムーグ・シンセサイザーは、ロックの世界ではすでにエマーソン・レイク&パーマーが1970年のデビューから使用している。これをポップスで使用して世界的にヒットしたのはホット・バターの「ポップコーン」、チッコリー(チッコリー・ティップ)の「恋の玉手箱」で、いずれも1972年。ホット・バターはムーグ奏者のスタン・フリーを中心とするグループ。カバーが多く、タイトル曲もカバー。「デイ・バイ・デイ」はゴッドスペルのカバー、「テルスター」はジョー・ミーク&ザ・トーネイドーズのカバー。すべてをムーグで演奏しているわけではない。しかし、タイトル曲の音響的なおもしろさは忘れられない。
1973年。前作と同じ。ヒット曲は出なかった。「シンコペーテッド・クロック」はリロイ・アンダーソン、「マスターピース」はジャン・ジョセフ・ムーレ作曲。いずれもクラシック曲。