1984年。邦題「夜明けのランナウェイ」。キーボードを含む5人編成。一般には80年代アメリカのMTVロック、ヘアメタルを代表するバンドと認識される。キーボードとギターが同じくらいメロディーを支配する。「夜明けのランナウェイ」はイギリス、ヨーロッパ的な曲調をアメリカン・ロックでやっている同時期にデビューしたラヴァーボーイがカナダ出身でありながら、カナダのマイナー臭さをなくして完全にアメリカン・ロック寄りのサウンドを提示して長続きしなかったのは皮肉だ。ボーカルは未熟。「シー・ドント・ノー・ミー」はグラス・ルーツのカバー。全米43位、200万枚。「夜明けのランナウェイ」は39位、「シー・ドント・ノー・ミー」は48位。
1985年。A面とB面で曲の出来の差が生じる。A面はすばらしい。「TOKYOロード」は日本人にはなじみ深い曲かもしれないが、「オンリー・ロンリー」「サイレント・ナイト」の方が出来はよい。全米37位。「オンリー・ロンリー」は54位、「恋の切り札」は69位。
1986年。邦題「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」。曲の出来、ボーカル、サウンドが向上し、大ヒットした。特に作曲面での成長が大きい。このアルバムで80年代ヘアメタルの頂点に立った代表作。全米1位、1200万枚。「禁じられた愛」は1位、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」は1位、「ウォンテッド・デッド・オア・アライブ」は7位、「ネバー・セイ・グッドバイ」は28位。
1988年。オープニングの3曲は畳みかけるような勢い。デヴィッド・ブライアンはいいキーボード奏者だ。デスモンド・チャイルドが作曲面で大きく貢献している。ジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラとの作曲能力の差は際だっている。「99イン・ザ・シェイド」はハードさとポップさのバランスがすばらしい。全米1位、700万枚。「バッド・メディシン」は1位、「ボーン・トゥ・ビー・マイ・ベイビー」は3位、「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」は1位、「レイ・ユア・ハンズ・オン・ミー」は7位、「リビング・イン・シン」は9位。全米トップ10が5曲もあるのは驚異的で、チャート上は全ハードロック・ヘビーメタル最大のヒット・アルバム。
1989年。シングル盤。「エッジ・オブ・ブロークン・ハート」はアルバム未収録曲。メンバーの思い出話のような「メッセージ」も収録されており、英語と日本語訳もついている。
1989年。シングル盤。イントロがカットされ、エンディングもフェード・アウトしているエディット・バージョン。「バッド・メディシン」「夜明けのランナウェイ」「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」はライブ。場所は書かれていないが「バッド・メディシン」の最後でサヨナラと言っているのが聞こえる。
1989年。シングル盤。「ラヴ・イズ・ウォー」収録。「ブラッド・オン・ブラッド」はライブ、「ボーン・トゥ・ビー・マイ・ベイビー」はアコースティック・バージョン。
1992年。ヒットのスケールは前2作よりも小さくなったが、曲のクオリティが底上げされた。「イン・ジーズ・アームズ」「ベッド・オブ・ローゼズ」「ドライ・カウンティ」収録。全米5位、200万枚。「キープ・ザ・フェイス」は29位、「ベッド・オブ・ローゼズ」は10位、「イン・ジーズ・アームズ」は27位、「アイル・スリープ・ホエン・アイム・デッド」は97位。
1993年。シングル盤。「ベッド・オブ・ローゼズ」はバージョン違い。「レイ・ユア・ハンズ・オン・ミー」「TOKYOロード」「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」のライブ収録。
1994年。シングル盤。ライブ5曲収録。「ストレンジャー・イン・ディス・タウン」はリッチー・サンボラのソロ・アルバムの曲、「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」はローリング・ストーンズのカバー、「ワルツィング・マチルダ」はトム・ウェイツのカバー。
1994年。シングル盤。ボン・ジョヴィのオリジナル作品としては最も売れた曲。このシングルのみ売り上げ枚数が100万枚を超えている。
1994年。初のベスト盤。日、英、米で収録曲が違う。新曲2曲。「オールウェイズ」収録。全米8位、400万枚。「オールウェイズ」は4位。
1994年。クリスマス・ソング3曲を収録したシングル。3曲のうち1曲はジョン・ボン・ジョヴィ作曲。「バック・ドア・サンタ」はライブ。日本盤発売は1995年。
1995年。シングル盤。「グッド・ガイズ・ドント・オールウェイズ・ウェア・ホワイト」収録。「プレイヤー'94」は「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」の再録音バージョン。
1995年。ベースのアレック・ジョン・サッチが脱退。後任は補充せず、4人組になった。曲の後半にミドルテンポが続くのは少々だれる。エアロスミス同様、世界的に売れるようになって外部作曲家の作品が多くなっているが、今回もデスモンド・チャイルドの曲がある。「ヘイ・ゴッド」「サムシング・フォー・ザ・ペイン」「ジス・エイント・ア・ラブ・ソング」収録。こうして代表的な曲を紹介するにもアルバムの前半に偏る。全米9位。「ジス・エイント・ア・ラブ・ソング」は14位、「サムシング・フォー・ザ・ペイン」は76位、「ライ・トゥ・ミー」は88位
1995年。シングル盤。「ジョンのコメント」が3曲入っていることになっているが、ジョン・ボン・ジョヴィがしゃべっているだけなので実質的には4曲入りシングル。タイトル曲以外はすべてライブで「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」はビートルズのカバー。
1995年。シングル盤。3曲入り8センチCD。ブームタウン・ラッツの「哀愁のマンデイ」のカバーは、ブームタウン・ラッツのボーカルだったボブ・ゲルドフがゲスト参加で大部分を歌っている。
1995年。シングル盤。ライブ3曲と隠しトラック1曲。
1996年。シングル盤。2種類あるシングルのうちのCD-1。ライブ3曲収録。「アイル・スリープ・ホエン・アイム・デッド」は途中でモータウンの大御所グループ、ザ・テンプテーションズの「パパ・ウォズ・ア・ローリン・ストーン」を挿入している。
1996年。シングル盤。ラジオ・エディット・バージョン。ライブ2曲とウィルソン・ピケットの「634-5789」のカバー。2種類あるシングルのうちのCD-2。
1996年。シングル盤。未発表曲のデモ・バージョン2曲と、サイモンとガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」、サム&デイブの「アイ・サンキュー」のカバー収録。
1996年。シングル盤。1分半短いバージョン違い。「クレイジー」はドラムのティコ・トーレスがボーカルをとる。ウィリー・ネルソンのカバー。「ダイスをころがせ」はキーボードのデビッド・ブライアンがボーカル。ローリング・ストーンズのカバー。「ヘブン・ヘルプ・アス」はギターのリッチー・サンボラがボーカル。スティービー・ワンダーの「ヘブン・ヘルプ・アス・オール」のカバー。日本盤のタイトル表記は間違い。
1999年。シングル盤。映画のテーマ曲。ライブ1曲収録。
2000年。ボーナス・トラックの2曲がいい。「イッツ・マイ・ライフ」は「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」の2000年バージョンだという。通常盤では最後の曲にあたる「ワン・ワイルド・ナイト」は人気が高い。
2000年。シングル盤。アルバム未収録曲2曲収録。
2000年。シングル盤。ライブ2曲収録。
2001年。日本のみのベスト盤。
2001年。初のライブ盤。新曲1曲。
2002年。もともとジョン・ボン・ジョヴィはフロントマンとして優れていてもボーカリストとしてはあまり評価は高くなかった。80年代後半の全盛時に小出しされたシングルのライブ曲を聞いても歌唱力の不十分さは明らかだった。近年は音程の高いパートを作曲段階で放棄してしまっているため、緊張感のある曲や高揚感を醸し出す曲がなかなか出てこない。ただ、90年代以降は、ハードロック風に歌うことが批判性のなさと同義であるため、声域が狭くなっても歌い方の工夫次第ではハードロック以外の聞き手に注目される余地は残っている。挑戦することを避けていると成功は望めないが、成功するであろうという目論見の元に行う挑戦はロックでは大概失敗するので、小さな未聴感をの積み重ねていくしかないだろう。
2002年。シングル盤。アルバム未収録曲3曲収録。
2002年。シングル盤。「ミスアンダーストゥッド」のシングルバージョン、「エヴリデイ」のアコースティックバージョン、「アンディヴァイデッド」のデモバージョンを収録。
2005年。オープニング曲の「ハヴ・ア・ナイス・デイ」は近年では最もすばらしい曲で、これほど個性と覚えやすさを両立した曲はあまり見あたらない。続く曲も「イッツ・マイ・ライフ」で使われたギターのエフェクトを使い、定番を再確認させる。この2曲がアルバムの評価を安泰にする。日本盤ボーナストラックは3曲ともいい曲で、アルバムの正規の収録曲になっていてもおかしくない。それでもボーナストラックはない方が締まりが出てよかったのではないか。
2005年。シングル盤。ライブ1曲収録。
2005年。シングル盤。ライブ3曲収録。
2007年。オープニング曲は全編にバイオリンが入る。全体的にカントリーの要素が大きいが、ハードロックとしてのサウンドは守っている。80年代のヘアメタル、MTVロックの流行以降、カントリー風サウンドはアメリカの白人音楽の主要ジャンルの一つになり、特に1992年のガース・ブルックス以降はロックと並ぶほどの市場を形成している。したがって、ロックバンドの一部がカントリー寄りのサウンドになったとしても、それはかつてヘビーメタルバンドがグランジ、オルタナティブ・ロック寄りになったことと(時流に乗ったという意味では)同じことだ。ロックの歴史では、1969年にカントリーロックの大きなブームがあったが、けん引したのはザ・バーズの「ロデオの恋人」とボブ・ディランの「ナッシュビル・スカイライン」で、どちらも従来のサウンドを突然変更したアーティストによるものだ。新人の登場がきっかけではなかった。今回の場合、(ハードロック・バンドである)ボン・ジョヴィも途中でサウンドに変更を加えたことになる。しかし、今作のボン・ジョヴィが一般の洋楽ファンからあまり支持されない点は、時期が中途半端すぎることだ。シャナイア・トゥエインの「カム・オン・オーヴァー」は1997年、フェイス・ヒルの「ブリーズ」がアメリカの年間最高アルバムになったのは2000年、ディクシー・チックスがブッシュ批判をして音楽ファンを超えた論争を起こしたのは2003年だ。ボン・ジョヴィが2007年になってカントリー風サウンドに挑戦したのは、一種の哀れさを感じる。カントリー風サウンドよりもつらいのは、ボーカルの音域が狭くなっていることだ。これは、音楽の内容とは関係のない発表時期の問題とは違う。カントリー風サウンドとボーカル音域の狭さに共通するのは、バンド自身の安全志向だ。カントリー風サウンドになったことで、アメリカではヒットするだろう。「ウィー・ガット・イット・ゴーイング・オン」はいつものギター・サウンドが出てくる。
2007年。シングル盤。「アイ・ラヴ・ディス・タウン」と「ホール・ロット・オブ・リーヴィン」はライブ。
2009年。ロックサウンドに戻り、安定したメロディーを聞かせる。無理をしない安全運転の曲が多い。オープニング曲や「ソーン・イン・マイ・サイド」は前向きだ。「ワーク・フォー・ザ・ワーキング・マン」や「ラヴズ・ジ・オンリー・ルール」に限らず、ボン・ジョヴィのメロディー、サウンドだと確認させるフレーズが随所にある。メーン・ソングライターがギターで曲をほぼ完成させてしまうのか、キーボードが目立たなくなった。大きな挑戦とまではいかなくとも、小さな試みは残してほしいところだ。
2009年。シングル盤。アルバム収録曲とインスト曲の2曲収録。
2013年。前作に近いサウンド。ジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラがアコースティックギターで作曲するため、エレキギターによるハードロックにはならず、キーボードによるエレクトロロックにもなっていない古典的なロック。メロディーやサウンドの一部はオルタナティブロックを通過したブルース・スプリングスティーンだ。オープニング曲から4曲目までは前向きだ。12曲のうち前半の6曲は快活なロック、後半の6曲はアコースティック的なギターとキーボードを中心とした落ち着いたロック。ジョン・ボン・ジョヴィが歌える音域の中で作曲されるため突き抜けるようなメロディーは作りにくくなるが、オープニング曲の「ビコーズ・ウィ・キャン」はポップで覚えやすい。
2013年。シングル盤。「キープ・ザ・フェイス」のライブはコンサートの最後の曲だったようだ。
2015年。ギターのリッチー・サンボラが抜け3人編成。ボン・ジョヴィとしては珍しく、暗めの曲が多い。オープニングの「ア・ティアドロップ・トゥ・ザ・シー」がアルバムの方向を象徴するような曲調になっている。ほとんどの曲でキーボードが目立たず、使っていてもピアノが中心だ。アコースティックギターとエレキギターを同時に使えば、アメリカの中西部、あるいは西部の土臭いロックに近くなる。「フィンガープリンツ」はイーグルスを意識したか。ハードロックと言えるのは「ウィ・ドント・ラン」「サタデー・ナイト・ゲイヴ・ミー・サンデー・モーニング」。「ライフ・イズ・ビューティフル」は2000年代以降のU2風。録音のデータやメンバーは一切表記されず、ジャケットは紙1枚のみとなっている。このアルバムが訳ありであることは明らかだ。
2016年。ギター、ベースが加入し5人編成。2000年以降の主流のロックに近づいた曲があり、これまでのボン・ジョヴィのロックと掛け合わせて独自のサウンドを作った。ギターの響かせ方が新しくなり、リッチー・サンボラから変わったことの効果が出ている。ハードロックを聞く人とロック全体を聞く人では、ギターの新しさは異なって見えるだろう。ハードロックを聞く人が敏感に聞き取るギターソロや演奏技術的な違いは、変化を生じさせている主体がアーティスト側にあるのに対し、洋楽を聞く人の間では、どう聞こえるか、すなわち変化の主体が聞き手側にある。それはアーティストに対する距離感の違いでもある。「ニュー・イヤーズ・デイ」ほか多数の曲でギターがシューゲイザーのように響き、80年代以前にはなかった21世紀的音響がある。アルバムタイトル曲、 「リヴィング・ウィズ・ザ・ゴースト」「ボーン・アゲイン・トゥモロウ」は覚えやすい。「ゴッド・ブレス・ディス・メス」はボーカルがオアシスのリアム・ギャラガーに似る部分がある。