1977年。ストライダーのドラム、トニー・ブロックが結成したバンド。全員イギリス人なのでブリティッシュ・ロック。ボーカルのジョン・ウェイトがベースも兼任。ギター、キーボード、ドラムの4人編成。ジョン・ウェイトはハンブル・パイのスティーブ・マリオットやフリーのポール・ロジャースに傾倒しているらしく、「ダイイング・マン」にように全般的にソウルフルな歌い方だ。イギリス特有の影があり、明るい曲は少ない。
デビュー盤のジャケット違い。
1977年。ストリングス、ホーン・セクション、女性ボーカルを導入し、音質も良くなった。レコード会社の庇護を受けた。イギリスではヒットせず、アメリカでヒット。シングルに切られた曲が「イズント・イット・タイム」と「シルバー・ドリームズ」なら、レコード会社の意気込みも分かろうというものだ。
1978年。レコーディング途中でキーボードが脱退。サウンドがアメリカ寄りになっている。最後の「カリフォルニア」は、そのタイトルといい、明るくポップな曲調といい、バンドの方向転換を示す象徴的な曲。シンセサイザーを弾いているのはヘビー・メタル・キッズ、ユーライア・ヒープのジョン・シンクレア。アメリカでは最大のヒット作。
1980年。キーボードにジョナサン・ケインが加入。ジョン・ウェイトはベース兼任をしなくなり、専任ベースとしてリッキー・フィリップスが加入。5人編成になった。新加入の2人はアメリカ人。9曲のうち7曲でこの2人が作曲に関わっている。ボーカルがジョン・ウェイトでなければほとんど別バンドというくらいサウンドが変わった。ストリングスやホーン・セクションはなく、ほとんどの曲がキーボード主導。全曲がヒット性を帯びている。「ターン・アラウンド・イン・トーキョー」でボーカルをとるのはジョナサン・ケイン。
1980年。前作からの揺り戻しか、曲の主導権はギターに戻っている。キーボードは添え物。ハードロック路線だがコーラスが強化されている。ジョナサン・ケインが10曲中8曲も作曲に関わっているので、意図的にギター中心にしたのは明らかだ。
1989年。ベイビーズのジョン・ウェイト、ジョナサン・ケイン、リッキー・フィリップス、ジャーニーのギター、ニール・ショーンを中心に結成されたバンド。ジョナサン・ケインはベイビーズ脱退後ジャーニーに加入していた。ギターとキーボードがほどよくブレンドされたオーソドックスなロック。大人のハードロックとも言える。「ホエン・アイ・シー・ユー・スマイル」は全米1位、CMにも使われた。「プライス・オブ・ラブ」も5位。このころのアメリカは、ハードロックはバラードしか売れなかった。この手のサウンドにしてはドラムがハードだ。
1991年。前作と同路線。ジョン・ウェイトの声域は広くないのでバックの演奏を変えないと新機軸は打ち出しにくい。