1968年。キーボード奏者のアル・クーパーが、ギターのマイク・ブルームフィールド、スティーヴン・スティルスと共演したアルバム。マイク・ブルームフィールドはボブ・ディランがフォークからロックに移行した当時のバックバンドのメンバー。スティーヴン・スティルスはバッファロー・スプリングフィールドのメンバー。クリームの即興演奏とは違い、スタジオ録音が中心。同時演奏なので、ライブの感覚で演奏している。A面の5曲がマイク・ブルームフィールド、B面の4曲がスティーブ・スティルスの演奏。マイク・ブルームフィールドはブルースを基調にした演奏で、このアルバムのヒットによって有名になった。マイク・ブルームフィールドが使用していたギターのストラトキャスターは、イギリスだけでなくアメリカでも人気となった。9曲のうち3人の自作曲は3曲で、いずれもマイク・ブルームフィールドが演奏。その他の6曲はボブ・ディラン、ドノバン、インプレッションズなどのカバー。ロックではこのアルバムのヒットによって「セッション」が一般的になる。
1968年。邦題「フィルモアの奇蹟」。「スーパー・セッション」の続編。アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドによるセッション。クリームがライブでの即興演奏で人気を得て、ロックの新しい表現領域を開拓したのに続き、アル・クーパーは複数の演奏者によるアンサンブルやかけ合いの可能性を見出した。このアルバムによってセッション、ジャム・セッションがロックの世界で一般化した。ブルースやジャズ、カントリー、ブルーグラスでは、わざわざセッションなどと言わなくても普段やっていたことだった。この時期、ロックの最大アーティストであるビートルズは、ライブ活動を停止してスタジオ盤の可能性を追求していた。したがって、ライブの可能性の追求する姿勢がロックでは一時的に止まっていた。実際は、止まっていたというよりはライブの可能性を探るアーティストはほとんどなかった。ライブの可能性は、クリームのエリック・クラプトンがスタジオ盤とはまったく異なる演奏をライブで披露し、スタジオ盤とライブは別物という認識を定着させたところから始まる。アル・クーパーは、クリームから始まったライブ・パフォーマンスの歴史を発展させたアーティストだ。それが最も具体的に現れたアルバムが「フィルモアの奇蹟」である。もちろん、これは現在の視点から見た評価であって、当時は当時の感覚で演奏していたのは当然だ。「59番街橋の歌(フィーリン・グルーヴィー)」はサイモン&ガーファンクルまたはハーパース・ビザール、「ザ・ウェイト」はザ・バンド、「アイ・ワンダー・フー」はレイ・チャールズ、「激しい恋はもうたくさん」はアルバート・キング、「ソニー・ボーイ・ウィリアムスン」はジャック・ブルース、「ノー・モア・ロンリー・ナイツ(寂しい夜はいらない)」はソニー・ボーイ・ウィリアムスン、「ディア・ミスター・ファンタジー」はトラフィック、「グリーン・オニオン」はブッカー・T&MG'Sのカバー。ソニー・ボーイ・ウィリアムスンは実在するブルース歌手の名前で、かつてヤードバーズがバックバンドを務め、アルバムを出したことがある。このアルバムでは「ソニー・ボーイ・ウィリアムスン」からソニー・ボーイ・ウィリアムスンの「ノー・モア・ロンリー・ナイツ(寂しい夜はいらない)」につながっていく。「ディア・ミスター・ファンタジー」は途中でビートルズの「ヘイ・ジュード」のメロディーが挿入される。「ソニー・ボーイ・ウィリアムスン」のギターはカルロス・サンタナ、「ノー・モア・ロンリー・ナイツ(寂しい夜はいらない)」のギターはエルヴィン・ビショップが演奏。カルロス・サンタナはこのアルバムが出たとき、まだアーティストとしてデビューしていなかった。
1969年。邦題「スーパー・セッションVol.II ”クーパー・セッション”」。「スーパー・セッション」の続編。アル・クーパーとギターのシャギー・オーティスのセッション。A面はあらかじめ編曲され、女声コーラス等が加えられている。B面はセッションで事前の調整なしに録音している。アル・クーパーは7曲のうち2曲に参加。「ダブル・オア・ナッシング」はブッカー・T・ジョーンズのカバー。
1969年。ストリングス、ホーン・セクションが入り、楽器やサウンドの制約がほとんどない。ソロでは最初の作品だが、セッションのようなサウンドはない。「ワン」はスリー・ドッグ・ナイトのカバーでニルソン作曲、「カラード・レイン」はトラフィックのカバー、「ケンタッキーの青い月」はビル・モンローのカバー。ブルーグラスなのでバイオリンとバンジョーが使われる。「トウ・ホールド」はアイザック・ヘイズとデビッド・ポーター作曲、「ヘイ・ウエスタン・ユニオン・マン」はギャンブル&ハーフ作曲。オープニング曲の「序曲」とエンディング曲の「アンボーン・チャイルドに捧げる歌と踊り」は一部同じメロディーが使われる。
1969年。邦題「孤独の世界」。ブラス・ロックバンド、ブラッド・スウェット&ティアーズを結成していたこともあって、ホーン・セクションが多く使われている。そこにストリングスが入ってくると、いわゆるダンヒル・サウンドに近くなってくる。「ルシール」はリトル・リチャードのカバーではない。「トゥー・ビジー・シンキン・バウト・マイ・ベイビー」はマーヴィン・ゲイ、「アイ・ドント・ノウ・ホワイ・アイ・ラヴ・ユー」はスティーヴィー・ワンダー、「モーニング・グローリー・ストーリー」はニルソンのカバー。
1970年。これまでの作品と同じような路線。ピアノの量が多くなった。レコードでは2枚組。「アイ・ゴット・ア・ウーマン」はレイ・チャールズ、「カントリー・ロード」はジェイムス・テイラー、「ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー」はビッグ・ジョー・ウィリアムスのカバー。「ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー」は12分半あり、アル・クーパーのピアノ・ソロが長い。
1971年。邦題「紐育市(お前は女さ)」。オープニング曲がアルバムタイトル曲。ストリングスを使わずにメロトロンを使う。女声コーラスがこれまでより多い。リタ・クーリッジ、ガス・ダッジョン、ハニーコーン、フライング・ブリトウ・ブラザーズのスニーキー・ピート・クレイナウ参加。「おくれないでいらっしゃい」はエルトン・ジョン、「キャン・ユー・ヒア・イット・ナウ(500マイル)」はピーター・ポール&マリーのカバー。「ハード・ロック野郎のバラッド」はロックン・ロール調のハードロック。
1972年。邦題「早すぎた自叙伝」。前作に続き、あまりストリングは使わない。キーボード、シンセサイザーで代用するため、サウンドが当時流行のプログレッシブ・ロックに近づいている。曲やメロディーは変わらないので重厚な印象は与えない。「モンキー・タイム」はメジャー・ランスまたはスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ、「泣きたいくらいさ」はスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ、「ザ・マン・イン・ミー」はボブ・ディランのカバー。
1972年。邦題「赤心の歌」。オープニング曲の「自分自身でありなさい」から「ジョリー」までの3曲はすばらしく、アル・クーパーのボーカルも繊細だ。「時の流れるごとく」収録。代表作。アトランタ・リズム・セクションの4人が参加。「聖衣に触れて」はサム・クックのカバー。
1975年。ベスト盤。
1976年。
1982年。アル・クーパーがドゥービー・ブラザーズのジェフ・バクスターと共作したアルバム。9曲のうちアル・クーパーが作曲したのは3曲、ボーカルをとるのは2曲。ジェファーソン・スターシップのミッキー・トーマス、タワー・オブ・パワーが参加。ホーン・セクションを派手に使い、80年代風の豪華なサウンドになっている。特にインストの2曲はギター、キーボード、パーカッションでハードなロックにしている。これまでのピアノ、オルガン中心のサウンドではない。
2003年。邦題「フィルモア・イーストの奇蹟」。「フィルモアの奇蹟」のニュー・ヨーク版。「イッツ・マイ・オウン・フェルト」はジョニー・ウィンターが参加。
2005年。